The Grounded Ability Necessary for Elementary School Teacher in Intercultural Educations
(異文化間教育において小学校教員に求められる素養)

68期 AII 類 D. M.

Introduction

 私たちは今、国際化する社会の中で生きている。国際化が進んでいるということは、言い換えると、異文化との交流が避けられない状況になってきているということである。実際、日本の学校現場では外国籍の児童・生徒が年々増えてきている。今の子どもたちが社会に出ていくころには、国際化がますます進み、自分たちの文化と他の国の人々が持つ文化との違いに苦しめられる可能性のある場面が増えていくかもしれない。さらに今の社会情勢としてその文化の中での価値観の違いから、争いごとが起き、私たちの生活を脅かしている。このような状況の中に置かれている子どもたちにとって、異文化との関り方を学ぶことは必要不可欠なことである。教員は、国際化する社会に出ていく子どもたりの将来を考えて、異文化間教育を行っていく必要がある。本論文では、子どもたちの将来を担う教員が、異文化間教育を行っていくにあたり、どのような能力を備えておくべきか明らかにすることを目的とする。

Chapter 1 What Kind of Education Is Necessary in Intercultural Education?

 第1章では、異文化間教育では、どのような方針で、どのようにして教育を進めていくべきかということについて示した。文部科学省から国際理解教育についての指針が出されているが、それに沿って教育を行っていくだけでは不十分ではないかと考える。というのも、学校の教育環境や、自分の持つクラスの子どもたちの様子や、置かれている状況によって、教育の指針や方針は柔軟に変えていく必要があると考えるからである。例えば、子どもたちが学ぶ必要がある事柄は、その時代や、その時の社会情勢によって変わっていくだろう。その時に自分の待っている教育の方針を変化させることができなければ、的外れなことを教えてしまい、子どもたちにとって本当に必要なことを身に付けさせることができないのではないだろうか。つまり、異文化間教育に必要な方針とは、状況によって変化することが可能な方針である。自分の中で、ある程度の方針を持った上で、その方針をその時の環境・状況に応じて変えていく必要があるのだ。例えば、今日の日本では外国籍の児童の数が増えてきているという状況を考えると、日本籍の児童に向けた教育の方針だけでは不十分である。外国籍児童の目線に立った方針を打ち立て、外国籍児童に対する教育の質も向上させていく必要がある。このように異文化間教育では、状況に応じて柔軟に変化し、日本人の子どもたちだけでなく、外国籍の児童の立場も考えた教育が求められると言えるだろう。

Chapter 2 Problems with Intercultural Education

 第2章では、異文化間教育を行うにあたり、どのような障壁があるのかということについて、子どもたち側、教員側の両者の視点から考察した。 子どもたちの問題については、自分化と異文化の違いから生じる場合が多い。以下は問題を抱える子どもたちの類型である。
 1.異文化に適応することをあきらめて、自分の文化が正しいと思い込んでしまう子ども
 2.異文化に適応することができず、自文化の中に閉じこもって、他の文化と関わろうとしない子ども
 3.異文化に適応しようとしたが、自文化と異文化のどちらにも属することができず、中途半端な状態に陥る子ども
 どの項目についても、異文化との関わり方や、異文化についての考え方が誤っていたことから生じる問題であると考えることができる。異文化を自分の持つ文化とは全く違う、異質なものという見方をしてしまった結果である。ここで必要なのは、違いがあって当たり前というような寛容な考え方である。自分の考え方に沿わないから、正しくないと考えるのではなく、客観的に二つの文化を見るということが必要になってくるだろう。
 教員の抱える問題については、異文化を持つ子供たちが教育現場に増えてきたことにより、従来の教え方では、外国籍の児童に良い質の学びを提供することができなかったり、宗教や文化的背景の違いにより、特別な対応を迫られたりするという状況が増加している。このような状況で必要なのは、教員が子どもたちと忍耐強く関わっていくということと、子どもたちが違いに対して寛容になれるように導いていくことである。人間は、一人一人が違って当たり前という考えを持って、外国籍を持つ子どもたちに関わることができれば、その子どもが疎外感を感じることも少なくなるだろうし、ストレスも感じにくくなるのではないだろうか。このような状況を作り出すために必要な能力については第3章で述べる。

Chapter 3 Abilities Necessary for Elementary School Teachers in Intercultural Education

 第3章では、第2章で述べた問題を解決していくためにはどのような能力を教員は身に付けておくべきかということについて考えた。教員は、外国籍の子どもたちが相手であっても、学びを提供することを目的としていなくてはならない。そのためには、教員とその子どもとの関りだけではなく、子どもたち同士の関わりを大切にしなくてはならない。というのも、教員が一方的に教えるだけでは本当の学びに繋がらないと考えるからだ。子どもたち同士、あるいは教員を含めたクラス全体での学び合いが大切だと考える。このような学びを実現するためには、クラス全体で信頼し合える関係を築いておく必要がある。そのために教員は、子どもたちから文化という障壁を取り払い、クラスでの学び合いは人間同士の関わり合いであるということを意識させることが大切であろう。つまり、異文化を持つ子供との違いを当たり前のものだと考えさせなくてはならない。教員はこのような状況へと子どもたちを導く力、そして、日本の子どもたちと、外国籍の子どもたちの関わり合いを作り出す仲介者としての力が必要である。また、授業についても、違いがあることが当たり前ということを子どもたちが意識するようにデザインするなど、自分の思う方向へ子どもたちを導くために有効活用する力も必要になってくるだろう。

Conclusion

 現在,学校現場には様々な種類の異文化を持つ子供が存在している。本論文で,取り上げたような子どもたち以外にも,特殊な事情を持っている子どもたちもいるかもしれない。教員は,子どもがどのような特殊な背景を持っていようと,その子どもを成長させる必要がある。このような子どもたちを成長させるためには,教員がその子どものことを理解し,どのような対応をすればよいか考えていかなくてはならない。子どもたちは一人一人異なった特性をもつため,一人一人違った対応をするべきだろう。子どもたちが違いに対して寛容にならなくてはならないのと同様に,教員も違いに対して寛容になり,理解するように努めなくてはならない。教員がそのような態度をとっていたとしても,文化同士の衝突や摩擦が起こるかもしれない。衝突や摩擦が起きたときに,そこで身を引いてしまうのではなく,忍耐強く関わっていくことが求められる。これは,子どもたちにとっても必要なことで,これからますます国際化していく社会では,異文化との関りは避けることができないだろう。子どもたちの将来のためにも,教員は自分自身が積極的に異文化と関わっていく姿を見せると同時に,異文化との関わりの中で生じる問題を乗り越え,新しい活路を切り開く能力を身に付けさせる必要があるのではないだろうか。将来子どもたちが社会に出ていったときに,異文化と接触する機会は多くあるだろう。そのような状況で,身を引くことなく,積極的に様々な文化と関わっていかなくてはならない。そして,忍耐強くかかわった結果,お互いに理解し合い,自分たちの視野を広げていくことが大切と言えるだろう。