Teachng English with Digital Textbooks
(リスニング技術の向上)

64期 AII 類 R. K.

Chapter I

 Chapter 1では,現在の日本における英語教育について,自らの経験や現役の先生の話などを踏まえて,どのような点が生徒のリスニング能力の向上に不足しており,これから必要とされるのか見つめなおします。昨今の英語教育における流れとしては,英語によるコミュニケーションを授業の中で取り入れていくことに焦点が当たっています。それ自体についてはとてもよいことなのですが,しかしながら,なぜ日本人が英語によるコミュニケーションが苦手だと考えられているかというと,そもそも日本に住む英語を話すネイティブスピーカーが少ないことが理由でしょう。身の回りに英語を話すネイティブスピーカーがほとんど存在しない環境下においては,英語を使うことの必要性を感じることもなく,英語そのものに触れる時間も意識しなければ増えません。
 ある言語を話すためには,ある程度のその言語に対するインプットが必要となります。しかしながら,上記のように英語に触れる機会のほとんどない環境下にある日本人にとっては,教室で学ぶ英語の授業が,彼らにとっての英語と接する機会の全てと言えるかもしれません。そのような考えのもと,現在の英語の授業を見直してみると,圧倒的にインプットの量が足りていないように感じられます。また,生徒たちは英語を学ぶことの意義を見出さないまま学習をすることになれば,言語を習得するうえで好ましくありません。なので,まずは英語の世界に触れさせることから始め,英語の持つ役割,すなわち他者とのコミュニケーションをとるためのツールであることを伝えてはどうかと考えます。

Chapter II

 Chapter 2では,英語を習得するうえでのリスニングの重要性について,母語習得と第二言語習得の観点から見ていきます。特に,私がこのテーマを扱うポイントとなったインプット理論について検証し,同時にインプット理論に対する近年の言語学者の意見をもとにして,私自らの考えるリスニングの重要性についての考え方を見直していきます。
 母語習得の研究によれば,人間の赤ん坊は文字などを言語として認知するよりも先に,音としての言語を認知します。そこから言語習得が始まるのだとすれば,日本人の英語の習得も同様に,音声の認識から始めるのが良いのではないでしょうか。また,赤ん坊が自分の母国語を聞き始めてから約12か月で話し始めることを考えれば,同じだけのインプット量があってこそ,日本人も英語を話すことが可能になるのではないでしょうか。
 第二言語習得の研究からは,インプットのもつ働きについて様々な見方がありますが,中でもクラシェンのインプット仮説によれば,人間が言語を習得するには一つの方法しかなく,それはその言語によるメッセージを理解すること,すなわち"理解可能なインプット"を受け取ることとあります。この考えを中心に,言語習得におけるリスニングの重要性について考えます。また,このインプット仮説に異を唱える考えにも触れていきます。そこでインプット仮説のどこまでが確証をもって言えるか,どこを訂正して考え直さなければいけないかについて考えます。例えばアウトプット仮説によれば,言語の習得はアウトプットによって促進されるものだとされていますが,それは前提としてインプットが十分にある状態でアウトプットを行なうことに意味があると考えられます。
 最後に,母語習得と第二言語習得の考えの中から,類似する点について取り上げ,それらを日本人の英語習得,さらには教室における生徒の英語リスニング能力の向上につなげていけたらと考えています。一つ言えることは,日本にいる英語学習者は,chapter 1でも取り上げたように,十分なインプットを獲得できていない人の方が多いと考えられるので,話す練習をする前にまずは聞くことによって,言語に触れる時間を増やしていくことが大切なのではないでしょうか。

Chapter III

 Chapter 3では,これまでのchapterで見てきたことを踏まえて,リスニングをより重視した授業を展開していくにはどうしたらよいかについて考えていきます。その中で,私自らの体験からanimation(動画)を用いた英語の授業について考案し,自分なりの授業案を提案していくことを目指します。
 まず,英語の授業を成り立たせるための条件のようなものがあると考えます。それは,生徒が興味をもつような授業であり,可能な限りの量の実際の音声としての英語を聞かせ,生徒に"理解可能なインプット"を提供し,新しい機器を導入していくことが挙げられます。そのような条件を満たすのではないかと考えられるのが,animation(動画)を用いた英語の授業であり,これからの授業作りのツールの一つとして働いていくのではないかと考えます。さらに,animation(動画)を帯活動として取り入れたり,授業の核として使ってみることを提案します。