A Study of E. A. Poe's "William Wilson": the Treatment of Conscience
(E. A. ポー「ウィリアム・ウィルソン」研究:良心の扱い)

68期 AI 類 T. H.

Introduction

 "William Wilson"は1839年に出版されたポーの短編小説である。この作品はドッペルゲンガーをモチーフにしており、主人公と顔、名前から生まれた日や生い立ちなどありとあらゆる点でそっくりそのままのドッペルゲンガーが現れる。主人公はこの不気味な自分とそっくりな分身におののき、憎しみ、最終的に自分自身も分身も崩壊していく。この論文では、ドッペルゲンガーがなぜ主人公に現れてきたのかを主人公の生まれ持った気質やフロイトの精神分析学の観点から分析し、最終的にドッペルゲンガーがどんな意味合いで存在しているのか分析していく。

 Chapter 1 William Wilson's Disposition: "Propensity to Evil"

 この章では、主人公の本来もっている激情的で、富んだ想像力が主人公を悪へと傾斜していく様子を分析していく。主人公の激情的な気質によって、彼は小学生時代では、周りの学友を支配しリーダー格となっていく。一方で、主人公の両親は虚弱かつ意志が弱い人物である。そのため、両親でさえも主人公を支配できないほどに、彼の暴君的な気質が高まっていく。そんな中、彼の前にドッペルゲンガーであるWilliam Wilsonが登場する。主人公は自分自身と信じられないほどそっくりそのままの分身に驚愕する。ある日、主人公は分身の唯一の相違点である、声の低さに気づく。ドッペルゲンガーの声は、主人公の声より低く、小さなささやき声で語り掛ける。それは、暴君と化した主人公を悪への道から救い出す良心の声と解釈することができる。

Chapter 2 William Wilson's Damnation: The Murder of Conscience

 悪へと傾斜していく主人公は次第に分身を疎ましく思うようになる。主人公は謎に満ちた自身の同姓同名の男の正体を探りたいと思うようになる。そして、ある晩、分身の部屋に侵入し、信じられない光景を目の当たりにする。それは、ただ自分と似ている顔ではなく、分身の顔は完全に自分の顔と一致するほどのものである。それは鏡を見ているかのような衝動に駆られるほどである。この時、主人公が襲われた戦慄は、後に分身に対して激しい憎悪へと変化していく。そして、世界中を逃げ回るも、分身の激しい干渉はやむことなく、最終的に主人公は憎しみとともに分身を殺害する。しかし、主人公の目の前には大きな鏡が現れ、死んだはずの分身ではなく、血にまみれた主人公がその鏡に映る。それは、主人公が犯した殺害は、分身ではなくまさに自分自身の良心を殺害したと言える。

Chapter 3 The Analysis of the Theme from the Psychoanalytical Point of View

 この作品の中に現れる分身は、フロイトの精神分析学の観点から考えれば、超自我と解釈することができる。超自我とは、人間の心の中の声で、悪事を犯せば、自分自身を罰するという良心の声だと言える。分身は、主人公を最後の最後まで付きまとい、干渉する。そして、主人公の悪事を妨げるように作用する。すなわち、分身は一貫して主人公の超自我を表わしていると言える。さらに、フロイトは超自我の形成は両親のしつけが大きく起因していると言う。幼少期の子どものしつけや両親の管理がなされることによって、超自我は形成される。しかし、主人公の両親は主人公を統制することができず、手に負えない状況に陥る。すなわち主人公の超自我は形成されることがないゆえに、別の個体のドッペルゲンガーとして、主人公の前に登場し、主人公を救い出す存在であると言える。

Conclusion

 この作品で、ポーは人間の心理を良心と悪との二つの分け、それらを衝突させている。そして、文学という媒体を使って、それら両者は崩壊するということを突き詰めている。フロイトが精神分析学として、人間の心理を体系化する以前に、ポーは、人間の心の奥に潜む心理を突き詰め、寓意として文学で表現している。その点で、ポーの作品は時代を超えて、人々の心を引き付けているのだろう。