A Study of Le Guin's Earthsea Cycle: the Spiritual Growth of Heroes
(Le Guinのアースシー物語研究:主人公たちの精神的成長)

67期 AII 類 Y. K.

Introduction

 Ursula K. Le Guinはアメリカの有名なSF作家のうちの一人である。彼女の最も有名な作品の一つである『アースシー物語』は、子供向けの作品ではなく、自己認識や自己実現に悩みを抱えているヤングアダルト向けの作品として高く評価されている。この作品の中で彼女は、自己分裂、性の危機、自己の中にある自分自身の影との闘いといったテーマを扱っており、その点において『アースシー物語』の世界は単なる想像上の世界ではなく、現実世界の鏡であると言える。
 この論文で私は、全部で6巻ある作品のうち『アースシー3部作』と呼ばれる最初の3巻を扱う。Le Guin自身、この3部作に共通するテーマは'coming of age'であるとエッセイで述べているが、私は巻ごとに特徴を持った'coming of age'について分析していく。

Chapter I The Shadow in A Wizard of Earthsea from the Viewpoint of Jung Psychology

 『アースシー物語』の1巻では、全作品に共通する主要人物であるGedの、自身の影との闘いが描かれている。Chapter 1では、Gedの影に焦点を当てて、影が何を象徴しているのか、どのようにしてGedと影との闘いは終わるのかについて分析していく。主人公であるGedは、少年の頃から魔法の才能に長けており、自身もその才能を自負している。Gedは、魔女の娘に魔法使いとしての自負心を傷つけられた時と、魔法学校でのライバルと力比べをした時の2回、影を魔法の力によって呼び出すが、そのどちらも怒りや憎しみ、高慢の気持ちによって呼び出されている。影はGed自身の「高慢、憎しみの気持ち」によって生み出されたものだが、Gedは得体のしれない影の存在に恐れ、逃げようとする。影が象徴しているものは「自分の中にある認めたくないもの」であり、影との分裂はすなわち自己分裂であると言える。この分裂した自己を再び自我の中に統合するためには、影の存在を否定し続けるのではなく、それを自分の中にあるものだとして認めることが必要不可欠であるC. G. Jungは述べている。Gedは1巻の最後に、影は恐れるべきものではなく、自分の生み出したものであるということに気付き、影に自分の名前と同じ「Ged」という名前を付すことによって影との統合を果たし、自分の自己分裂の危機から脱している。

Chapter II The Recovery of Femininity in The Tombs of Atuan

 『アースシー物語』の第2巻では、Tenarという少女が名前というアイデンティティを奪われ、それを再び取り戻すまでの物語が描かれている。第2巻の主人公であるTenarは、普通の家の子どもとして生まれたにもかかわらず、生まれた日がthe tombs of Atuanという代々女性にのみ守られてきた墓所の巫女の死んだ日と同じであったという理由で巫女の生まれ変わりとみなされる。5歳になったTenarは墓所に迎え入れられ、Tenarという名前を奪われ、Arha(=アースシー世界において「喰われし者」という意味)と名付けられる。アースシー世界では名前がその物の本質を表すため、この時点でTenarは自分の名前というアイデンティティを象徴的に失ったと言える。Arha/Tenarが守る墓所には地下に迷宮のような真っ暗な空間があり、その空間には女性しか入ることが許されず、中にはArha/Tenarにしか入ることのできないような部屋もあり、そこはArha/Tenarの無意識的空間の象徴である。その場所にGedは無断で侵入する。Arha/Tenarは自分の無意識空間に侵入してきた彼のことを「侮辱だ」というが、彼は魔法の力によってTenar本人も忘れかけていた彼女の名前の意味を教える。Arha/Tenarは、自分の名前を思い出し、自分は本当は地下墓所に閉じ込められるべき存在ではないことに気付き、Gedの助けによって地下迷宮から解放され、本当にいるべき場所に戻っていく。
 Tenarは5歳の時に親元から引き離され、連れてこられた地下墓所も女性権力しかない神聖な場所であったため、侵入者GedはTenarにとってほぼ最初の男性的存在である。したがって2巻においてGedは、Tenarを地下迷宮から救い出したその行為からも、例えるならば父や牧師のような、Tenarの英雄的存在となっている。

Chapter III The Spiritual Growth of Heroes in the Earthsea Cycle

 『アースシー3部作』の最終巻である第3巻の主人公はArrenという、良識はあるが精神的に未熟な少年である。この巻の結末は、Arrenがアースシー世界の全土を統治する王となることであるが、この章では、何によって未熟で王の器を持ち合わせていないArrenが王たる力を備えていくのかを考える。Arrenは父親から、世界に何らかの異変が生じていて、人々が無気力になっているためその原因を突き止めてほしいという伝言を預かり、Gedのいる魔法学院に赴く。GedはArrenを一目見た時に彼が将来王になる素質があることを感じ取り、Arrenを王へと導くために原因を突き止める旅に同行させることを決める。GedはTenarに彼女自身の本質を見せたのと同じように、その人の隠れた内面や本当の姿を見抜く力が非常に優れているのである。Arrenは世界の異変を探す旅の道中で、不死を望む人たちの存在に気付き、自分の中にも死を避けようとする自己が存在することに気付き混乱とする。GedはArrenに「死を避けることは生をも避けることだ」と助言し、Arrenを実際に死の国に向かわせる。Arrenは死の国で一度死に、再び現実世界に戻って再生を果たすことによって'coming of age'を果たすと同時に王の器を手に入れ、アースシー全土を統治する王になる。

Conclusion

 『アースシー3部作』の3巻に共通していることは、それぞれの主要人物(Ged、Tenar、Arren)が自分自身の分裂した自己を統合することによってmaturityを達成しているという点である。Le Guinが作品を通して最も伝えたかったことは、自己ともう一つの自己の『均衡』を果たすことの大切さであると考える。自分が見たくないもう一人の自己に目を向けて受け入れることによって、『アースシー物語』の主人公のように成長を果たすことができるのである。