A Study of Lafcadio Hearn’s Kwaidan
(ラフカディオ・ハーンの『怪談』研究)

60期 AII 類 N. K.

Introduction

「耳なし芳一」や「雪女」など日本の怪談話として子供の頃から親しまれている『怪談』が、実は、後に小泉八雲として日本に帰化したラフカディオ・ハーンという外国人によって書かれたということに私自身とても衝撃を受け、卒業論文として『怪談』を扱うことに決めた。Introductionでは、ラフカディオ・ハーンの経歴についての概要、そして本論においてどのように論じていくかを要約し、Chapter 1から Chapter 3までの内容を簡単に紹介した。

Chapter I Motifs in Kwaidan

『怪談』に収録されている物語には、概して、幽霊や亡霊、「ろくろ首」や「むじな」といった奇妙な生き物が登場し、また、そうしたゴシック的な恐怖に加え、無常観や輪廻転生などの仏教観念や自然への畏敬、人間の超次元的な愛の力などある種超常現象と言える主題が含まれている。これらの主題は日本人の本能に潜むゴシック的感覚だけでなく、ハーンの物語に対する本能的なゴシック的感受性も表している。その中でもゴシック的恐怖や自然の畏敬、人々の超次元的な愛といったものは、異界という概念が基礎にあり、『怪談』のほとんどの物語では、異界が現世へと侵入することで互いの世界が結び付く。そしてその結果、登場人物は異界の霊に遭遇し、異界と現世との境界の均衡が崩れた非日常的な場面に居合わせるのである。ハーンは現世には存在しない異界に憧れを抱き、また日本人の間に語り継がれた物語(『怪談』に収録された物語は大半が日本の民話的な物語である)にそうした異界を見出したのだろう。彼は登場人物を通し、恐怖を伴った形で異界への憧れを示し、そして人々もまた非常なものに憧れを抱き、異界に対するハーンの感受性に共感したのかもしれない。

Chapter II Techniques in Kwaidan

『怪談』に見られる物語は、ハーン自身が全くの創作で作ったものではなく、元々日本で昔から語られてきた民話にハーンが手を加えたものがほとんどである。しかしながら、日本人の多くは『怪談』をハーン自身が創作した物語だとみなしており、その物語を時間を超えて語り継いでいる。『怪談』が広くそして深く人々に愛されているのは、ハーンの飾り気のない、民話的な語りを重視した形式にあると考える。ハーンは純粋な『怪談』の「創作者」ではないが、しかし、その語り方はある種「語り手」としての「創作者」であると言える。彼は日本の民話に見られる人々の無意識に価値を見出し、それを『怪談』へ生かそうとしたのだろう。その結果、『怪談』には近代的な作者としての意識(authorship)がほとんど表れておらず、物語も概して簡素で粗い物となっている。そしてまた作者としての意識だけでなく人々の感情や心理描写もあまりなく、状況説明も無駄な語句を省くことで、客観的に物語を語ることに徹し、簡潔に述べられている。こうした特徴は民話ならではの特徴でもあり、その無駄の省かれた簡素で粗い物語だからこそ、世代を超えて人々に愛されてきているのだろう。

Chapter III Hearn’s Romantic Sensibility in Kwaidan

『怪談』には人々の無意識的な心理だけでなく、ハーンの浪漫主義的な精神も表れている。彼はいわゆる「ここ」に存在するものではなく、「ここ」には存在しないものに憧れを抱いていた。ハーンを魅了した作品は皆、「現在(今「ここ」に存在する時間)」ではなく「過去(今「ここ」にはない、もはや過ぎ去った時間)」などの「失われた時間」に存在し、また彼がそういった物語の中に見出した独特な感覚は、「ここ」ではない世界である異界や、西洋から遠く離れた東洋の国といった「ここ」にはない文化に向いている。彼はそういった過去や異界、東洋の国に理想郷にも似た彼自身の理想や夢というものを日本の民話に見出し、そしてそれこそが彼が『怪談』などの古い民話に憧れた理由だったと言えるだろう。また、彼が東洋の国や小動物を愛しく思い、それらに憧れを抱いたのは、そういった物が自分たち独自の文化を保ち、外国文化によって侵略されない一方で、それらは儚く繊細な物であると同時に、彼にとって不思議な物でもあったという点が大きかったのではないだろうか。だからこそ『怪談』に表れるそういった社会の中にハーンは彼自身の愛した、失われた理想の文化を垣間見、『怪談』に表れる理想や夢といった物に対する自身の浪漫的な感受性を加え、そしてまた読み手である人々も郷愁といった彼のその独特の感受性に関心を抱いたのだろう。

Conclusion

ハーンは『怪談』において、失われたものや異常なものといった「ここ」にはないものに自身の理想を見出したように、日本の民話に憧れを抱いていた。彼は浪漫的なものやゴシック的な物に敏感であり、そしてまた自身の浪漫的な感受性やゴシック的な感性を日本の民話の中に見出し、民話の再話を通して彼自身のロマンティシズムに彩られた世界を構築しようとしたのだと思う。結果として、人々は、彼らの普遍的な無意識が潜む『怪談』の主題に共感し、ハーン独自の感受性の織り込まれた物語に魅力を感じたのではないだろうか。そうした理由に加え、『怪談』は極めて簡素な構成となっており、だからこそ『怪談』は長い日本の歴史の中で人々によって愛され、語り継がれているのだろう。