A Study of Shakespeare’s Sonnets
(シェイクスピア『ソネット集』研究)

60期 AII 類 M. K.

Introduction

154編のソネットで構成される本作品は、詩人と若き美青年、詩人と黒き女性の、愛と欲が描かれたものである。時にその関係は拗れ、3者が縺れ合う。年百年もの時を超え、ここには今もなお、詩人の喜びと嘆き、苦悩と快楽の声が響き渡っている。

Chapter I Time Represented in The Sonnets

時は死神である。若き青年に纏わりつく時間は彼の美を破壊し、生を奪い取る。彼を美のイデアであり美のメシアとも考える詩人にとってそれが如何なる苦しみ、そして恐怖であるか。"Devouring Time" − 時は全てを喰らい尽くすのである。しかし、ルネサンス期に生きる詩人は生を渇望する。ソネットに青年の美を刻み込むこと、それが詩人の時に対する戦争なのである。

Chapter II Language and Imagery in The Sonnets

この時代、言葉には曖昧さが溢れていた。科学には不都合な曖昧さも、言葉で芸術をなす文学には豊饒をもたらすものであった。曖昧な言葉が幾重にも重なり、1つのソネットに意味とイメージの重層を成していく。言葉と言葉が響き合い、無関係に思える2つのものが1つに重なった時、そこにははっとする感動があるだろう。

Chapter III Love and Lust in The Sonnets

愛は不動で不変、いつも変わらぬ位置で輝く北極星。肉欲は残酷で残虐、一瞬の快楽の為に全てを奪いさる地獄である。美を最上のものと見る詩人は、全ての美の原型と言うべき青年に最後の審判の時まで耐えうる愛を捧げる。技巧でもって偽りの美を手に入れた黒き女性を見る詩人のその眼は肉欲の化身、一瞬の快楽を求め、男女は嘘で塗り固めた関係を築き上げる。高尚な魂が青年を、俗悪な肉体が女性を愛す。これが詩人の愛と肉欲である。

Conclusion

シェイクスピアの才能を以て、時を超越した完全な世界をこの作品の中に生み出した。この類いまれなる芸術作品は時の戦争に勝利したと言えよう。ソネット集は、彼と青年との愛、そして青年の美を語り継ぐ永久に朽ちぬ墓標なのである。無常観、時の力を超え、今日も詩人の声が鳴り響く。"From fairest creatures we desire increase" と。


【後輩たちへ】

一生で一度の卒論を書くことは不安でいっぱいだと思う。未知のものへ向かう時、誰しも気が滅入るものである。でも大丈夫、計画性のない勝手気ままな私にだって書けたのだから(質の保証はされていないが…)。時は我々の美を奪うが、同時に卒論の完成を手伝ってくれるよ。
 それはさておき、私がここで言いたいことが1つある。それは、『テーマは教育に縛られる必要はない!』ということだ。大学は大学、仕事は仕事。教師になればいつも眼前には教育現場が存在する。教育について考えない日はないだろう。だったら、今は今しか考えられない対象に時間を使ってみてはどうだろうか。
 よく「英語が好き」と言う言葉を耳にするが、正直私には理解しがたいものである。英語は言語である。「言語が好き」なんてなかなか口にしない台詞である。たぶん、『英語』=『英語という科目』という意味で使っているのだろう。科目としての英語を脱却して、英語そのものを研究対象にしてみてはどうだろうか。
 洋画が好きなら、洋画を研究してみたらいい。洋楽が好きなら洋楽を研究してみたらいい。文学が好きなら文学を研究してみたらいい。文法が好きなら英語学を研究してみたらいい。私がソネットを研究テーマにした理由なんて、ただ「シェイクスピアの書いた詩を読めたらカッコイイ」くらいなもんである。
 さあ、無難に考えた卒論題目を破りさり、冒険の旅に出よう。

PS. とは言うものの、英語教育を卒論テーマに選ぶことを否定しているわけではないです。ただ、無難に選び、無難に書き、誰が書いたのかわからない論文は書いて欲しくない。我の出過ぎた論文はダメだろうけど、自分らしさが微塵もない論文も残念だ(そんなこと言える立場なのか怪しいが…)。自分が『コレだ』と思ったテーマを胸に、時に苦しみ、時に笑い、そしてまた苦しみ、カタカタとパソコンと向き合う時の末、完成の喜びに溢れながら学務と担当教官に卒論提出してください。