Movement Metaphors in English and Japanese
(英語と日本語における動きのメタファー)

51期 II 類 T. K.

Chapter 1. Introduction

多くの人は、メタファー(隠喩)と言うと、詩や文学の中にみられる特殊な表現方法だ、と考えるかもしれない。しかし、メタファーとは、抽象的で分かりにくい対象を、より具体的で分かりやすい対象に見立てることであり、日常の言語活動においても深く浸透している。むしろ、日常の生活の中であまりにも自然に使われているので、その表現がメタファーだと気付かず使っていることさえしばしばである。特に、人生や愛といったような抽象的な思考対象について語ったり思考を巡らせようとするとき、メタファーの存在は必然となる。ここでは、私達の生活の中で欠くことのできない、運動という視点からメタファーを見ていきたい。典型的な運動は、始点があり、ある経路をある方向に動き、終点に達するというものだろう。そこで、発着、方向、経路の三つの点に着目して進めていく。そのため、一部の表現においては違った側面から幾度となく取り扱うことになるだろう。また、ある種のメタファーが英語と日本語の間で一般的に対応するのではないかという予想から、英語と日本語の比較検討も行っていきたい。これらを通して、メタファーが言語のみならず、認識や行動にも共通する思考の手段であるということを示していく。

Chapter 2. The Starting and the Arriving

この章では、動きの出発と到着という側面を取り上げる。普通、動きには起点と終点がある。そこで、出発と到着がどのようにメタファーとして使われているかを考えていく。出発を表す語は沢山ある。出発に関係する語がメタファーとして使われると、必ずしも具体的な場所を表すとは限らない。メタファーとして、時間や原因・理由などを表すことも多い。次に終点のほうを考えよう。動きは目的地に達した時に終わる。End には「終わる」と「目的」という意味がある。どうして終わりと目的という意味が共存するのだろうか。それは「人生は旅である」というメタファーを考えてみると、分かりやすいだろう。なぜなら、目的地についた時に旅が終わると考えられるからだ。ここから、到着という観点から運動のメタファーを考る。起点や終点に関するメタファーは沢山あり、日本語との類似もみられることが分かった。

Chapter 3. Direction

ここでは運動の方向について考えることにする。方向が決まらなければ進むことができない。私達は行動するときでさえも行動の向きを定める。出発点においてどの道を進むのかは重要なことだ。
 「まっすぐ」と「まがった」の意味的対立を見てみたい。この二つの語は容易にメタファーに転じる。日本語では「まっすぐな」は比喩的に「良いこと」、「正直なこと」を表す。一方、「まがった」は「悪いこと」や「不正直なこと」をしめすことがある。英語においても、我々は同じような表現を見ることができる。次の二つの例を見てほしい。"She is not playing straight." と"He is a crooked politician."ここではまさしく、「良いこと」と「悪いこと」、「不正直なこと」を意味している。
 ここでもまた、私達は英語と日本語のあいだにいくつもの一致を見た。方向は人の性質や心のあり方、方向をあらわすメタファーとしても機能していることがわかった。

Chapter 4. Route

ここでは経路を考える。ここまで、動きに関係する様々なメタファーを見てきて、「人生は旅である」という概念が私達の言語活動に大きな影響を及ぼしているということが分かった。そこで、経路として特に「道」というものを考えていきたい。「道」と一言で言っても、平坦な道、でこぼこ道、分かれ道といったように道の形状も様々なものがある。また、道を進んでいくと、橋やトンネルなどを通ることも、乗り越えなければならない障害物にぶつかることもしばしばである。そのようなことが全てメタファーに転じる。
 道とは前に進むための経路だ。もし道がなければ、切り開き自ら道を作らなければ前に進むことはできない。また道は方法、手段をも表す。「平和に通じる道」と言う時の道は、言いかえれば「平和のための道」と言える。この表現では、平和は目的としてとらえられている。日本語で「どっちみち」という表現があるが、この表現の中にも「道」という語が入っている。私達は知らず知らずのうちにこのようなメタファーを使っているのである。"Was it his fault or not? Either way, an explanation is due." この文をみると、英語でも日本語の「どっちみち」と同じような表現があることが分かる。どちらの道を選択しても、同じところに行きつくということからメタファーに転じる。また、分かれ道に立つこともある。「道」は専門の道を表すこともある。「歌の道」や「研究の道」はこれにあたる。
 道の形状と状態はどうであろうか。次に、道の形状と状態を表す表現について、それらがどのような意味のメタファーとして使われるのかを見ていこう。道は常にまっすぐであるとは限らない。分かれ道に立つこともあれば、曲がり角に立つこともある。"He has reached a career crossroads." は日本語の「人生の岐路に立つ」という表現に似ている。ここで彼は次に進む道を決めなければならない。また、行き止まりにぶつかることもあるだろう。「研究が行き詰まる」にあたる表現が英語にも存在する。また、「上り坂」、「下り坂」という表現についても考察する。道の状態もよいものばかりとは限らない。険しい道もある。もし、進むのが困難なほど状態がわるければ、整えなければならない。道が整えられると、進みやすくなる。これは物事が改善される様子をあらわすときにも用いられることがある。きれいな道ができれば、それに沿って進めばよい。話し合いや会議では、始めに進むべき道を決めて、話はそれに沿って進む。
 次に道で出会うものがある。しばしば、それは障害物であることもある。"He puts obstacles in the way of her marriage." この文では、彼が彼女の結婚を妨げていることは明らかだ。結婚という目的地に進むための道の上に様々な障害物を置くという表現がとてもおもしろい。また、陸上競技に使われるハードルも人生や人間関係の道の障害ともなる。道を進んでいる間におきる事故もここに含めた。"Our marriage is on the rock." は結婚生活が船にたとえられていて、航海の途中で座礁してしまった、つまり船である結婚生活はうまくいかなくなってしまったことを表している。

Chapter 5. Conclusion

これまで、発着、方向、経路という運動の要素において見てきた。これはあくまでも一部であるが、そこからメタファーというものは日常的に使われるもので、それを使うことによって共感や理解を得やすくなるということがわかった。また、動きのメタファーにおいて、英語と日本語には類似した表現が多く見られ、そのもととなる概念が存在することが言えそうである。