日本教育方法学会第36回大会・自由研究10・D
(2000.10.1 11:30-12:00 北海道教育大学札幌校で発表)
伊那小学校の総合学習・総合活動に関する研究(その1)
       −学習過程の開始期における子どもの興味・関心の発現と教師の関与を中心に−

                                       三重大学教育学部  佐藤 年明



   目 次

T.発表要旨集録再掲(一部修正)

U.先行研究検討

V.伊那小学校の実践研究における学習過程の開始期の位置づけ

W.伊那小学校実践略史

X.実践事例分析

 X−1.収集資料一覧

 X−2.本報告における検討対象実践の限定

 X−3.実践事例分析
<1>1年?組「学校探検」実 践
<2>1年?組「フープ遊び」 実践
<3>1〜2?年剛組「お店屋 さん」実践
<4>もみっ子学年(1〜2? 年)「つつじ園」実践
<5>1〜2?年雅組「伊那小 ハ イランド」実践
<6>春組「牛飼育」実践 
<7>毅組「たんけん隊」実践
<8>訓組「鹿牧場」実践
<9>直組「ヒツジ飼育」実践
<10>夏組「ポ ニー・ヤギ飼育」実践
<11>川組「忍者」 実践

 X−4.事例分析の総括

Y.今後の継続的研究に向けて

謝辞

[別紙資料]
<1>1年?組「学校探検」実践
<2>1年?組「フープ遊び」実践
<3>1〜2?年剛組「お店屋さん」実践
<4>もみっ子学年(1〜2?年)「つつじ園」実践
<5>1〜2?年雅組「伊那小 ハイランド」実践
<6>春組「牛飼育」実践 
<7>毅組「たんけん隊」実践
<8>訓組「鹿牧場」実践
<9>直組「ヒツジ飼育」実践
<10>夏組「ポニー・ヤギ飼育」実践
<11>川組「忍者」実践




T.発表要旨集録再掲(一部修正)

1.伊那小学校の総合学習・総合活動の歴史
 2002年の新学習指導要領全面実施に向けた移行期に入り、先進校における総合学習実践の成果が注目を集めているが、その中でも伊那小学校の実践の蓄積 は群を抜いている。この時期に改めて同校実践史の全体を視野におさめた研究が必要であると考える。
 伊那小学校は、明治5(1872)年創立の、130年近い伝統をもつ学校である。そして、同校における総合学習・総合活動への取り組みは、1970年代 後半に始まる。
 1976年、同校に赴任した酒井源次校長は、昭和10年長野師範入学で、当時の長野師範附属小学校「研究学級」における総合学習の影響を受けている(小 野牧夫「伊那小学校(長野県)の総合学習の現代性」 『大東文化大学紀要』第34号 1996年)。また彼は、1956年に伊那小学校が通知票を全廃した当時、教員として同校に勤務していた(小松恒夫・宮崎総子『羊も鳩も、ぼくらの教科 書』 新潮社 1988年)。酒井校長の着任が伊那小学校における総合学習・総合活動の立ち上げに大きな影響を与えたと思われる。
 1977年、1年の2学級が選ばれ、教科書にも時間割にもとらわれない学習を試行した。翌1978年、低学年の教科別授業を廃止し、「総合学習」を実施 した。以来20年以上、実践が継続されている。現在の伊那小学校では、低学年では教科の授業がなく、総合学習に統一されている。また中・高学年では、教科 学習と総合活動が併存している。
2.伊那小学校実践の研究方法
 伊那小学校では、1997年度までは、入学後卒業までの6年間クラス替えがなく、担任教師も転任しない限り同一であった。1998年度からは、4年にな る時にクラス替えすることに変更になり、現在に至っているが、同校の各学級の総合学習・総合活動の実践は6年あるいは3年という長い期間にわたって展開さ れているのである。伊那小の各学級の実践をその発端から結末まで参加観察するということは容易ではない。将来的にはそのような研究も試みたいが、当面は公 刊された実践記録によってこのようなロングレンジの実践の全容を把握していきたい。先行研究においても伊那小学校の個別学級の実践過程の分析が試みられて おり、示唆を得る点も多いが、多数の学級の実践から構成される全体的な学校実践史を検討しようとする研究は、管見の限りではまだない。
 今回の報告は、複数の学級の実践を横断的に分析しながら学校実践史に迫っていく試みの端緒として、伊那小学校の総合学習・総合活動の出発点における学習 対象・学習課題の設定過程、そこにおける子どもたちの興味・関心と、それに対する教師の判断と子どもたちへのはたらきかけを分析する。検討するのは以下の 11実践である。
<1>1年?組「学校探検」実践           19??年度
<2>1年?組「フープ遊び」実践          19??年度
<3>1〜2?年剛組「お店屋さん」実践      1978?−79?年度
<4>もみっ子学年(1〜2?年)「つつじ園」実践  1978−79?年度
<5>1〜2?年雅組「伊那小ハイランド」実践 19??−??年度
<6>春組「牛飼育」実践  1986−91年度
<7>毅組「たんけん隊」実践 1990−95年度
<8>訓組「鹿牧場」実践 1992−??年度
<9>直組「ヒツジ飼育」実践 1997年度−
<10>夏組「ポニー・ヤギ飼育」実践 1998年度−
<11>川組「忍者」実践 1999年度−



U.先行研究検討

以下の先行研究を検討した。
・小松恒夫『教科書を子どもが創る小学校』(新潮社) 1982年)
・宮崎総子・小松恒夫『羊も鳩も、ぼくらの教科書』(新潮社) 1988年)
・岩川直樹「学校改造の弁証法−伊那小の革新性の所在−」(『埼玉大学紀要 教育学部(教育科学)』第42巻第2号
P.1-14 1993年)
・寺沢英男・柳沢昌一・流真名美「学習過程における認識発展と<追究−コミュニケーション編成>の展開−その一・実践記 録=伊那市立伊那小学校二年敬組『手作りのお店に夢を託して』の分析を中心に−」(『福井大学教育学部紀要 第W部 教育科学』第46号 P.53-117 1993年)
・柳沢昌一「問いと分かち合いの拡大と深化−学習共同体の漸成−」(佐藤学編『教室という場所』 P.155-184 国土社
 1995年)
・藤岡秀樹「小学校における総合学習についての研究−実践校の分析を中心に−」(『岩手大学教育学部附属教育実 践研究指導センター研究紀要』 第7号 P.205-222 1997年)
・小野牧夫「伊那小学校(長野県)の総合学習の現代性」(『大東文化大学紀要』第34号 P.303-322 1996年)
・清水毅四郎「総合学習の動向と生活科の検討−長野県内の事例を中心に−」(初出1990年)
「体験学習と『生きる力』」(初出1997年)
(清水毅四郎『論集T 生活科の現状と総合的な学習 の課題』 P.285-310/P.311-319 1999年)
・清水睦美「『総合的な学習の時間』がやってくる」(志水宏吉編著『のぞいてみよう!今の小学校 変貌する教室のエスノ グラフィー』P.14-58 有信堂 1999年)
・岩川直樹『総合学習を学びの広場に』(大月書店 2000年)

 上記のうち、本報告において特に注目して参照したのは下記の文献である。

寺岡英男・柳沢昌一・流真名美「学習過程における認識発展と<追究−コミュニケーション編成>の展開−その一・実践記 録=伊那市立伊那小学校二年敬組『手作りのお店に夢を託して』の分析を中心に−」
          (『福井大学教育学部紀要 第W部 教育科学』第46号 1993年 以下、「寺沢他論文」と略称する。)


 寺岡他論文は、J.デューイ『民主主義と教育』(1916年)における「省察的経験」(思考発展−探究展開)の五段階(@困惑・混乱・疑惑A推測的予想 B調査C試験的仮説の精密化D適用)を批判的に再構成して、「思考の展開論を共同の追究過程の編成−展開論へと発展させる」(P.71)とし、また、伊那 小学校自体が打ち出している学習展開の4局面(意欲のサイクル)「発想・構想・実践・自己評価」をもふまえて、以下のような<追究−コミュニケー ション編成>の内的構成の5局面を設定して、このシェーマで実践過程・学習過程を把握しようとする。
  @発意−合意の局面
  A構想−調査の局面
  B構築−分業の局面
  C遂行−発表の局面
  @省察−相互評価
 本報告の焦点である学習活動の出発点について、寺沢他論文は以下のように述べている(下線は引用者)。
「伊那小学校の総合学習の特質は、クラスで子どもたち自身の発意による共同探求を長期にわたって発展的展開していくことを、学級での学習−生活全体の主軸 にすえている点にある。(中略)こうした総合学習の展開は、伊那小学校の紀要『学ぶ力を育てる』『内から育つ』に毎年記録化されている。この記録には、一 つの活動の着想が子どもたちの遊びや会話を通して次第に具体化され共有されていく経緯(それ自体数か月にわたる場合がある)、それに本格的に取り組む準備 が進められ構想が立てられていく段階での試行錯誤や調査、話し合い、そして具体的な活動が順次すすめられていく中で次々に直面する問題にどう取り組んで いったか、そこでの子どもたちの活動と共同思考が描き出されていく。この記録は、子どもたちが相互的に追究を生み出していく過程を内在的に跡づけるものと なっている。」(P.66-67)
 また、<追究−コミュニケーション編成>の5局面の第1については、以下のように説明と例示がなされている。
「@発意−合意の局面
  さまざまな発想が提起され、積極的に受けとめられたり、受け入れられなかったりしながら次第に共同追究の方向が定位されていく、方向定位の合意を形成 していくコミュニケーションのサイクル。」(P.72)
「@発意−合意の局面
クラスで、今度の全校集会でのクラス発表の時間には小さなオペレッタをしようという提案(発意)がなされたとしよう。それまでのそのクラスでの活動の体験 や今のクラスの状態、今後の展望から、それは黙殺されたり、共感を持って受け止められたりするだろう。これまで、幾度か劇を作ってきた体験や、音楽での取 り組みなどからその可能性が大方の賛同を得たとき、追究が生じてくる(合意)。」(P.73)



V.伊那小学校の実践研究における学習過程の開始期の位置づけ

 伊那小学校『学ぶ力を育てる』(1982年)において、以下のような「学習成立の四条件」があげられている。
「ア そのたね(素材)が子どもにとって共通の関心事に属しているか。その関心も頭だけのものではなく、子どもたちの胸をときめかすようなものであるか。
 イ そのたねとかかわることによって、子どもに『こうしたい』『どうしてだろう』という求めが次々と生まれ、その求めが『○○を○○によって○○した い』という具体的めあてとなって連続していく見通しがあるか。
 ウ そこで行われる活動がどの子にとっても可能なものであり、しかもやりがいのあるものになりそうか。
 エ その活動を展開することをとおして、その子にふさわしい『学力』を身につけることになるか。」(同書 P.39)
 これは学習活動の成立を見守る教師側の視点である。この四条件からだけでも、伊那小学校の教師たちが子どもの興味・関心から発する活動であればどのよう なものでも学習活動となりうるとは考えていないことがわかる。
 しかしだからといって、子どもたちの活動が上記四条件を満たさない場合に教師が直ちに乗り出して活動を修正するとは考えにくい(公開学習指導研究会で見 聞した伊那小学校の教師の諸行動から判断して)。また上記四条件は、伊那小学校の全教師の行動を拘束する規則という性格のものではなく、そうした緩やかな 確認のもとに、各教師がさまざまな学習局面でそれぞれ個性的な対応を行なっていると予想される。
 そこで本報告では、伊那小学校の諸実践の学習の開始期、すなわち子どもたちのさまざまな興味・関心がある一つの活動の形を取って流れ始める時期におい て、担任教師が子どもたちの興味・関心についてどのような判断を下し、どのような行動によってそうした興味・関心に対応しようとしているかを、実践記録か ら抽出して分析していきたい。



W.伊那小学校実践略史

(参考文献)
・宮崎総子・小松恒夫『羊も鳩も、ぼくらの教科書』(新潮社 1988年 以下、「A」と略記)
・小野牧夫「伊那小学校(長野県)の総合学習の現代性」(前掲 以下、「B」と略記)

  1956年  通知票を全廃
       ☆酒井源次氏は、この当時に伊那小の教員だった。(A・P.26)
  1976年  酒井源次校長赴任(B・P.316)
      文部省指定研究「ゆとりあるしかも充実した教育のための教育課程」 (B・同)
  1977-78年 県教委指定研究「幼保小の一貫した教育課程」 (B・同)
  1977年  授業の区切りのチャイムは廃止 (A・P.26))
  1976-77年 総合学習の試行期
☆1977年度は1年の2学級だけが選ばれて、教科書にも時間割にもとらわれない学習を試行。
担任は三輪忠幸教諭と溝上淳一教諭 (A・P.25)
1978年  低学年の教科別授業を廃止し、「総合学習」実施 (酒井源次校長) (A・P.20)
  1982年  大槻武治教諭(1978年度に附属長野小学校から転入/1983年県教委指導主事として転出)が「ポチのいる教 室」(1年生)を実践。これ以後の典型に。それ以前にもウサギ、アヒル、ニワトリ、チャボ等の飼育活動は あったが、犬という動物を中核に据えた総合学習はこれが最初。 (A・P.24/P.29)
  1984-86年 文部省教育研究開発校 (B・P.315)
  1998年  校長提案により、前年度までの「クラス替えなし」から、「3→4年時にクラス替え」に変更。これにより低 学年の動物飼育は3年までとなる。(2000年2月公開学習指導研究会の研究協議で報告者がメモした情報)



X.実践事例分析

 X−1.収集資料一覧

伊那小学校の刊行物・実践資料として、現在までに以下のものを収集している(配列は年代順)。
・伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』(信濃教育会出版部 1980年)
・伊那小学校『自ら学ぶ−教科・道徳・特活の核となる総合活動−』(信濃教育会出版部 1981年)
・三枝孝弘指導・長野県伊那市立伊那小学校『学ぶ力を育てる』(明治図書 1982年)
・長野県伊那小学校六年春組『はるみちゃん、ローラ、“大好き!!” 伊那小春組の子どもたちと二頭の牛との感動の記 録』(1992年)
・百瀬司郎「牛のはるみちゃん」(一年)−牛に学んだ5年間−」(清水毅四郎編著『信州発「生活科」の実践 「生活 科」を核とした合科的な指導の展開』P.288-323 黎明書房 1992年)
・北原和俊「内から育つ」(長野県伊那市立伊那小学校)」(平野朝久編著『子どもが求め、追究する総合学習』P.55-97 学芸図書 1995年)
・長野県伊那市立伊那小学校6年毅組『出発!毅組ふるさとたんけん隊!! 伊那小毅組37名から感動の記録とメッセージ』 (信濃教育会出版部 1996年)
・橋爪 隆「丸木舟を作って乗ってみよう」(『学校運営研究』別冊No.460 P.130-133 明治図書 1997年)
・長野県伊那市立伊那小学校「内から育つ−その子らしさを発揮して生き生きと追究し、自ら高めていく子ども−」(平野 朝久編著『子どもが求め、追究する総合学習 「総合的な学習の時間」へ向けて』P.14-21 光村図書 1998年)
・「長野県伊那市立伊那小学校」(文部省『特色ある教育活動の展開のための実践事例集−「総合的な学習の時間」の学 習活動の展開−』P.140-143 教育出版 1999年)

・長野県伊那市伊那小学校5年直組全員34名(指導者/飯澤 隆)「伊那小学校の周りで見られた野鳥とシジュウカラの繁 殖」(http://www.gakken.co.jp/sainou/contest/32sakuhin/32k-monbu2.html 1995年)

・公開学習指導研究会 研究紀要『学ぶ力を育てる−ものやことの本質を目を輝かせて 追究する子ども−』平成二年度 1991年
・公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−材とのかかわりを深めるなかで、内なる求めを高めていく子ども−』平 成三年度 1992年
・公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−その子らしさを発揮して生き生きと追究し、自らを高めていく子ども −』平成九年度 1998年
・公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−学びの道すじを生み出しながら追究する子ども−』平成10年度 1999年
・公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−学びの道すじを生み出しながら追究する子ども−』平成11年度 2000年

・平成七年度公開学習指導研究会 共同参観学習指導案 1996年2月4日
・平成9年度公開学習指導研究会(・要項 ・共同参観学習指導案 ・学習発表要項) 1998年2月1日
・平成10年度公開学習指導研究会 研究冊子 1999年2月7日
・平成11年度公開学習指導研究会研究冊子 2000年2月6日


 X−2.本報告における検討対象実践の限定

今後の継続研究を想定し、初回である今回の報告では、検討の視点を「学習過程の開始期における子どもの興味・関心の発現と教師の関与」と設定した。
「学習過程の開始期」とは、最長の場合6年間にもわたる伊那小学校各学級の実践の、スタートの時期を意味する。6年間(1997年度以前)、あるいは3年 間(1998年度以降)にわたって同一構成の学級が持続するという他校に見られない特殊な実践の条件を持つ伊那小学校であるが、前述のように資料収集を部 分的にしか行なえていない現在、各組の6年間の実践年譜を完成することができない。従って、2学年以上の途中の学年から新たにスタートしているひとまとま りの総合学習・総合活動の検討は今後に譲り、今回はそれより以前の学習活動が存在しない1学年に検討対象を限定する。前述の収集し得た実践資料の中から、 以下の11例の1(〜2)学年の実践記録を抽出した。これらは言うまでもなく、伊那小学校で蓄積されてきた1学年実践の一部でしかない。


 X−3.実践事例分析

<1>1年?組「学校探検」実践

◎出典
「がっこうたんけん 一年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.80-97 信濃教育会出版部 1980年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*19??年度
*担任教師*?
◎実践の概要
(1)校舎の中で人間の骨を見つけたという猛文の報告に子どもたちは騒然となった。しかし、猛文に場所を聞いても要領を得 ないので、教師とともに見に行くことになった。
(2)見つけたのは鯨の骨であった。これをきっかけに子どもたちは校内の様子に興味を持ったようである。
(3)教師は「学校巡り」として学習が成立するのではないかと考えて、子どもたちに「学校の中を調べてみようか」と提案した。
子どもたちは賛成した。
(4)教師は子どもたちに校内の知っている場所や人を発表させたが、子どもたちは名称を知らないために少ししかあげられな かった。
(5)教師がそれだけしか知らないのかと言うと、子どもたちは「探検すればわかる。」と言いだした。自分たちで見つけた「探 検」という言葉に興奮していた。<活動の課題の成立>
(6)「どこへ探検に行ってもいい。一つ自分で探したら教室へ帰ってくる。」ことを確認した上で子どもたちは「探検」を開始 し、15分で全員が帰ってきて、探検してきた場所を報告しあった。
(7)教師が探検した場所の少なさに驚いてみせると、子どもたちはもっと探検をやりたがり、グループを作った方がくわしく 探検できると考えるようになった。
(8)教師も子どもたちもお互いに顔と名前がまだ一致していない中、試行錯誤でグループを編成していった。初めての経験で あるグループの話し合いも行ない、隊長や隊の名前を決めていった。
◎コメント
 今でこそ生活科の活動としてネーミングも定着している「学校たんけん」であるが、入学したばかりの子どもたちにとっては、自分たちで選び出した言葉であ りて、新鮮な響きを持っていたと考えられる。
 入学した子どもたちが校舎内をめぐり、だんだんと校舎での生活になれていくという活動は、どこの学校でも行なわれるものだが、この学級の活動のユニーク さは人骨発見という誤認に基づく子どもたちの驚きが活動を推進させたことである。
 誤認が訂正された後も、活動は続いていく。それは、子どもたちにとっての未知の部分を多く含んだ校舎という場所そのものの魅力と、そんなに少ししか知ら ないの?という教師の挑発があったからである。自発的な行動を先行させ、その経験を集約する段階で巧妙に挑発を行なうことで、教師は子どもたちの活動の次 への展開を促進し得ている。


<2>1年?組「フープ遊び」実践

◎出典
「わっこといっしょに 一年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.116-135 信濃教育会出版部 1980年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*19??年度
*担任教師:?
◎実践の概要
(1)4月末、教師が中庭に古タイヤを搬入した(遊びを活発にさせる遊具の一つとして)。
(2)子どもたちは早速タイヤの所に集まり、タイヤで遊びたいと要求した。
(3)子どもたちは、タイヤを転がしたり、ぶつけたり、持ち上げたり、積み上げたりして遊んだ。それまでの砂場中心の遊 びから、タイヤ中心の遊びへ流れていった。
(4)しかし、タイヤは重くて扱いにくいため、子どもたちの興味は急速にさめていった。
(5)5月末に鶴子がブレスレット(腕輪)を持ってきたことがきっかけとなり、持ちよったブレスレットを使って机や床の上で ミニタイヤ遊びともいえる活動が始まったが、狭くて数も少ないのでトラブルが起こった。
(6)治夫の声をきっかけに、子どもたちはもっと大きな輪が欲しいと要求するようになった。
(7)教師がフープを教室に持ち込んだ。一人に一本ずつフープが渡された。
(8)子どもたちは体育館で75分にわたってフープで遊んだ。子どもたちが行なった活動は、フープをくぐる、ころがす、まわ す、上に投げ上げうけとる、水平に投げとばす、前回してとぶ、後ろ回しでとぶ、後ろ回しでとぶ、腰で回す、腰にあて がって走る、輪なげのまねをする、わっこをつなげての電車ごっこ、他の補助具に使うなどであった。
(9)しかし子どもたちのフープへの関心は3日ほどで薄れ、フープを持って遊び始めてもすぐに砂場遊びやボール蹴り遊びに 移っていくようになった。
◎コメント
 子どもたちのフープとの関わりは、紹介・検討した部分で終わったわけでなく、むしろそれから発展していっているので、「開始期」という線引きをして部分 的に評価を加えることは難しい。
 ただここで言えることの一つは、この学習活動では、最初のタイや、その後のフープという活動の道具が、ともに教師によって持ち込まれているということで ある。そしてもう一つ言えることは、だからといって子どもたちが教師が持ち込んだものを消費するだけの活動に終始しているわけではないということである。 十分な発展は見せなかったが、タイや遊びとフープ遊びの間に行なわれたブレスレット遊びは、子ども自身の発案によるものであった。


<3>1〜2?年剛組「お店屋さん」実践

◎出典
「お店やさん 一・二年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.136-167 信濃教育会出版部 1980年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1978?−79?年度
*担任教師:?
◎実践の概要
(1)4月のある日、子どもたちの社交場である教室のベランダで、6、7人の子どもたちが庭から取ってきた草を並べてお店やさんごっこに熱中していた。
(2)子どもたちは入学後の学校探検で一教室分もあるお店(購買)を発見して驚き、興味を持った。
(3)翌日から子どもたちの購買通いが始まり、品物を一つ一つ見たり、おばさんの応対のようすを食い入るように眺めていた。
(4)遠足の前日に子どもたちがおやつを自分で買っていいかと尋ねるので、教師はその要求を認めた。遠足の日の昼食時、子どもたちは買い物のようすを喜々 として話した。教師は子どもたちの買い物への関心の強さに驚き、また子どもたちに百円以下のお金の計算が可能であることを知った。
(5)子どもの日を迎えて兜作りに取り組んだ時、敏江が兜屋さんを開店した。チャンバラごっこで兜をボロボロにしてしまった健一が交換を要求したが、敏江 は拒否した。しかし理恵が小さい兜がほしいというとこれに応じ、お金を授受するふりのタッチをした。こうして兜作りは兜や刀を作って売るお店やさんごっこ に転換していった。教師はこの活動が、商品作り・お店作り・販売方法などを自由に発想でき、また売買によって相手との関わりを体験できるので、この年代の 子どもたちにふさわしいと判断した。また、この活動はいずれ実際のお店の活動に発展し、そこでさまざまな抵抗に遭遇するであろうと予想した。
(6)子どもたちは2年生の兄弟学級からアサガオの種をプレゼントされた。これを育てるために一人一人の鉢が必要だが、ない。そこでお金をもうける方法を みんなで考えることになった。
(7)翌日、教師が椎茸の原木を教室に持ち込んだので、大騒ぎになった。椎茸栽培のおじさんのメッセージをテープで聞かせると、子どもたちは全員一致で椎 茸栽培に取り組むことを決めた。みんなでおじさんに手紙を書き、後日約150本の原木 や栽培に必要な道具が届けられた。
(8)しかし椎茸の小屋作りは重労働なので、次第に子どもたちの意欲は薄れ、一部の子どもだけが活動するようになった。教師は自分が持ち込んだものである がゆえに子どもたちの関心が薄く無理があるのかと反省した。しかしなんとか椎茸の仕 込みまでこぎ着けた。
(9)椎茸の成長が速いことが再び子どもたちのもうけ心を刺激し、お店を作里、広告を出して椎茸を売ろうということになった。
(10)売る店を作ったところで子どもたちは買う側の視点に気づき、スーパーを見学した上でお店の準備を仕上げた。スーパーに倣い、商品は「剛組しいた け」と命名された。
◎コメント
 お店やさんごっこは子どもたちの中から自然発生的に成立した。しかし教師は、これが単なるごっこでは終わらず、ほんもののお店活動に発展していくと予想 している。これはおそらく、自分たちが作ったものを売るという活動について、すでに伊那小学校に一定の経験の蓄積があったからであろうと推測できる。ごっ こで終わるお店活動はどこの幼稚園でも学校でも見られるであろう。しかし、そこから現実の販売活動への展開を予測するところが伊那小学校らしい特色であ る。
 資金を必要とする状況は兄弟学級からのプレゼントによって偶然にもたらされた。しかしその目的達成ための椎茸栽培という方法を、教師は強引に学級に持ち 込んでしまう。生産者のメッセージテープも同時に提示されていることから、椎茸栽培活動については教師は事前に十分に準備し、提案の潮時を待っていたよう にも見える。そして、教師の期待に違わず子どもたちは椎茸栽培に乗ってきたが、まもなく重労働の抵抗が乗り越えきれずに活動から離れていく。そこを少数の 子どもに依拠してなんとか乗りきった後、椎茸そのものの魅力によって活動は再興していく。
 もちろん教師自身反省と試行錯誤を重ねながらの実践ではあるが、途中からとは言え活動の課題や素材を教師の側から持ち込んだという点は、検討した範囲の 伊那小学校の実践の中では少数例である。


<4>もみっ子学年(1〜2?年)「つつじ園」実践

◎出典
「もみっ子つつじえん 一・二年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.169-188 信濃教育会出版部 1980年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1978−79?年度
*担任教師:?
◎実践の概要
(1)1978年入学児童による記念植樹は、学年会での相談の結果すでに十分に緑がある校地内ではなく、市から提供してもらった春日城址公園の一角に、ツ ツジの苗を植えるということになった。子どもたちもこのことに関心を持ったようであった。
教師は在学中も卒業後も伊那市にすむ限り春日公園のツツジとの関わりが続いていくことを期待した。7月4日、280人の児童とそれぞれの父母と教師の分、 あわせて600本ほどのツツジを植樹した。
(2)この学年の学年通信は、玄関前の樅の大木にちなんで「もみの木」と命名された。「もみの木」紙上で父母に対してツツ ジ園の名称を募集し、学年PTA役員会において、「もみっ子つつじえん」と命名された。こうしてこの学年は「もみっ 子学年」と呼ばれるようになり、「もみっ子つつじえん」は学年行事の共通の広場となっていった。
(3)8月5日は夏休みの中間登校日であったが、マンネリ化打破のため、学年会で「夏休み林間学校」という新しい行事を企 画した。もみっ子学年だけは学校でなく春日公園集合とし、子どもたちはツツジさんといっしょに林間学校ができると大 はしゃぎであった。
(4)子どもたちは自分と親のツツジに水やりをするのだが、生い繁る雑草に自分の木を見失ってしまい、隣の子とけんかが始まる。そこで名札を用意すること になったが、自分の名前の裏にはツツジの愛称を書いている子どももいた。これが「も みっ子つつじえん」という共通の広場での1回目の学年行事であった。
◎コメント
 280人、おそらく6ないし7クラスという学年全体での活動の記録であるので、学年担任団や学年PTAによる「お膳立て」の下で学習活動が開始され、進 行していっているという色彩が強い。とはいえ、「もみっ子つつじえん」という名称は子どもたちによるものではないものののちに愛唱歌を作るほどに子どもた ちにとって親しみ深いものとなったようであるし、学年共通の活動の場を学校外に作るという大人たちの発想が、子どもたちの自由な活動の発展を支える土台を 作ったと判断することができる。


<5>1〜2?年雅組「伊那小ハイランド」実践

◎出典
「伊那小ハイランド 一・二年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.189-217 信濃教育会出版部 1980年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*19??年−??年
*担任教師団:?
◎実践の概要
(1)4月の入学以来2ヶ月間、子どもたちは冬庭において、石づみ、泥のおだんご作り、砂遊び、石の破片でのパズル遊びなど、石や砂や土を題材とした活動 を自然発生的に展開してきた。教師はこれらが人類文化の源である石器・土器づくりに もつながっていくのではないかと期待した。
(2)一方子どもたちは遊園地やフィールドアスレチックなどでの遊びを好み、特に春の遠足で行った東小学校のジャンボすべり台に大きな印象を受けていた。
(3)6月16日、教師は子どもたちに前夜見た夢の話として、クラスの子どもたちが石や砂や土で遊んでそれを集めていたら、東小のジャンボすべり台の倍く らい大きな山ができて、みんながどんどんすべっていたと話した。子どもたちは教師の話 に目を輝かせて反応し、それを冬庭に作るという話がまとまった。
(4)すべり台だけでなくお化け屋敷、動物園、ジェットコースターなどを作りたいという要求が出てくる中で、千里の「私がこの間行った富士急ハイランドみ たい」という声を受けて明彦が「伊那小ハイランド」という名前を思いつき、ここから伊 那小ハイランド作りが始まった。<活動課題の成立>
(5)6月23日、教師は4月以来教室の棚に置かれていた子どもたちの作った動物や乗り物に着目し、冬庭のコンクリートにこれらの作品を置いて動物園や駅 や飛行場を作ろうと子どもたちに提案した。
(6)子どもたちは待望のハイランドが作れるとみんな賛成し、すぐに行動に移ったが、なかなかうまく作品を置くことができない。教師は子どもたちの中に何 をどこに置くかのイメージができていないと判断し、チョークで置き場所を指示したが、 そうすると子どもたちは次々教師の指示を求めて大騒ぎになった。指示されなかった作品は適当に置いてしまい、他の活 動に移っていってしまった子もいた。作品づくりはハイランドづくりを予想せずに行なわれたものであり、またすでにか なり前に行なわれたことなので、子どもたちの関心が薄れていることも原因であろうと教師は判断した。
◎コメント
 本報告では検討対象を長期にわたる学習活動の開始期だけに限定しているため、伊那小ハイランドの活動の全体としての充実ぶりを正しく評価することはでき ないが、開始期を見る限りこの学習活動は教師の2度にわたる決定的な働きかけでセッティングされたものと性格づけることができる。すなわち「昨日の夢」と いう形で、文字通り教師が実現したい夢を子どもたちに提案したこと、さらに懸案であった作品の処理をハイランドづくりと結合するという提案をしたことであ る。
 教師自身の夢(第1提案)は子どもたちに飛び火して、確かに子どもたち自身の夢となったが、まだ子どもたちの手で十分に練られ、深められ、熟成されたも のにはなっていなかった。その段階で教師が第2提案を出したため、子どもたちは提案に乗りつつも、自分たちでそれを深め発展させることができず、教師の指 示を受け入れることで活動を楽しもうとした。そして十分には楽しめないまま活動から離れていく子どもも出てきたのである。


<6>春組「牛飼育」実践 

◎出典
<6>-1長野県伊那小学校六年春組『はるみちゃん、ローラ、“大好き!!” 伊那小春組の子どもたちと二頭の牛との感動の記録』(1992 年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
<6>-2百瀬司郎「牛のはるみちゃん(一年)−牛に学んだ五年間−」
    (清水毅四郎編著『信州発「生活科」の実践』P.288-323 黎明書房 1992年)
◎基本データ
*1986−1991年度
*担任・百瀬司郎教諭
◎実践の概要(<6>-1)
(1)@伊那小学校にヤギが飼われていることを知ったこと、A教室の牛のポスターが貼ってあったこと、の2点が直接の契機となって、「牛を飼いたい」とい う要求が輔君を筆頭とする子どもたちから出る。
(2)他の動物を飼いたい、牛はいやだという意見もあったが、牛を飼いたいという意見が圧倒的に多い。
(3)教師が「本物の牛を見たことがあるか?」という投げかけを行ない、子どもたちからは見たいという要求が出る。教師は 「大きいぞ」と脅かしながら、さらに子どもたちの要求をかき立てる。
(4)教師は美篶牧場のことを子どもたちに知らせる。子どもたちは「行く、行く。」と大さわぎ。学校から6キロの長い道の りを歩いて牧場へ。
(5)牧場で成牛や子牛に触れ合うことで、ますます子どもたちの牛を飼いたい気持ちが高まる。
(6)教師は牛を飼って何をしたいのかと問いかける。子どもたちは夢を語り、ますます飼いたい気持ちが高まる。
(7)学級として牛を飼うことを決定する。
(8)農協の平出さんから子牛を貸すことの許可が出る。
(9)子どもたちが校長先生にお願いに行き、許可を得る。
◎コメント
*<6>-1は「学級の記録」という形で叙述されているため、話者がぼかされているが、明らかに教師である。しかし、教師は明確な行動をとっ た場合以外は記録の中で「黒子」的な役割をしている。だから教師の意図が直接には語られない部分も多い。よってこれを、<6>-2によって裏 付けていく(★印)。
(1)確かに最初に牛を飼う要求を出したのは子どもたちである。輔君という一人の男の子であることもはっきりしており、彼は卒業の時点で、そのことを誇り に思っている。
(2)春組の子どもたちの入学は1986(昭和61)年。それ以前の伊那小の教育の概要は、Wの通りである。従って、春組の子ど もたちがいち早く注目したヤギを始め「動物のいる学校生活」はすでに伊那小の学校文化として軌道に乗りつつあったと 思われる。
(3)しかし、教師の戸惑いから推測すると「1年生で牛」というのは未経験だったのであろう。
(4)教師は最初の要求が出たとき、1年生には無理だと頭をかかえている。
(5)最初は戸惑った教師であるが、子どもたちの要求の強さを知ってこれを支援する決断をした。
  ★4月下旬と5月14日に子どもたちの話し合いがもたれている。2回目の話し合いの後、教師は「牛が学習財となるか考 え始めた。」(P.296)
(6)教師は、<本物の牛を見たいか><牧場に行くか><牛を飼って何をするか>という問いかけによって、子どもた ちの要求の高まりを促している。教師の指導性は確実に発揮されている。
(7)農協から子牛を借りられるようになるまでに、教師の奔走・交渉の努力があった。
★教師は学年の教師たちや農協畜産課に相談する。   

畜産課長の平出さんは、当初驚いたが、教師の数回の訪問のなかで、「比較的おとなしい動物ですから一年生でも ある程度の期間でしたら可能だと思います。もし飼うのでしたら、子牛をお世話します」との返事をいただくことができた。また、一番心配だったえさも援助し ていただけることを確認できた。この時点で教師は、牛の飼育が実現できそうな感じを得た。そして学習の見通しを考えることにした(資料参照)。しかし、牛 が来たときの子どもたちの喜びは大きいと思ったが、世話のこと等の不安も大きく、教師としては複雑な気持ちであった。
 教師は農協の牧場も何回か見学に行き、飼育の実際をみた。そこの管理人の方の牛を世話する姿や牛たちをみているうちに、子どもたちにもみせたい気持ちが 芽生えた。子どもたちの求めの本意がこれでわかると思ったからである。(P.296 後略)

(8)校長先生へのお願いについては、教師のアドバイスなのか子どもたちの発案なのかはっきりしない。後者だとすれば大したものであるが。


<7>毅組「たんけん隊」実践

◎出典
<7>-1長野県伊那市立伊那小学校6年毅組『出発!毅組ふるさとたんけん隊!! 伊那小毅組37名から感動の記録とメッセージ』(信濃教育 会出版部 1996年)
<7>-2「未知なる世界に想いを寄せて−ぼくらは毅組たんけんたい− 1年」(公開学習指導研究会 研究紀要『学ぶ力を育 てる−ものやことの本質を目を輝かせて追究する子ども−』(平成2年度 1991年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1990年度−1995年度
*入学時35人 卒業時37人?
*担任:小林高志教諭(29−34歳)
◎実践の概要(<7>-2)
(1)5月9日、休み時間後に子どもたちが遊んできた場所について話し合っている時、2年生の教室が何階にあるかで意見が食い違った。
(2)行ってみればいいという洋司の提案にみんなが賛成し、2階と3階へ確かめに行った。その結果、2年生の教室は3階にあり、2年生は5クラスあること がわかった。
(3)一方子どもたちは、2階に何の教室があるか知りたくなり、帰りに寄って理科室が4つあることを知った。
(4)このことをきっかけとして、校舎のまだ知らない部屋のことを調べてみたいという要求が出され、「探検に行こう。」 「僕らは毅組だから毅組探検隊だ。」という声が出た。
(5)5月中旬になると、ほとんどの子どもが探検した教室の場所と名前をメモしてくるようになった。繰り返し探検するうち に、教室の位置を順番に並べたメモが多くなっていったが、うまくかけず、メモだけではわかりにくいという声が出てき た。
(6)教師がそのことを子どもたちに投げかけると、石鹸箱で校舎の模型を作ろうという提案が出た。
(7)教師は、石鹸箱では小さくて作りにくいので段ボールを使ってはどうかという修正提案をし、子どもたちは賛成して模型 を作ることになった。
◎コメント
 <7>-1は「私達」=子どもたちを主語とする文章になっている。しかしその内容は基本的に教師の記録である<7>-2と同じ であり、<7>-2をrewriteして<7>-1にしたと思われる。
 どの学校でも入学後間もない子どもたちを連れて学校中を案内するし、低学年社会科・生活科の「学校探検」単元も定着している。その意味で毅組の長期にわ たる活動も、発端は珍しいものではない。しかし、校舎内での遊び場所についての経験をつきあわせることから探索活動がスタートしたのはユニークだし、「毅 組たんけん隊」というネーミングを子どもたちが考えたとすれば、自分たちの発案でクラスのプロジェクト活動に取り組めるということを多少とも意識していた とも考えられる(しかし、1年生の5月で?)。
 教師は、探索活動のツールをどうするかの検討場面で初めて介入している。それも、子どもたちの意見同士をつきあわせることから始め、模型作りのプランが 出たところで、「石けん箱より段ボール箱」と対案を出している。活動のテーマ設定自体は完全に子どもたちにゆだね、方法的な援助をするという姿勢である。


<8>訓組「鹿牧場」実践

◎出典
「鹿さんと友だちに−訓組鹿牧場−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−材とのかかわりを深めるなかで、内なる求めを高めていく子ども−』平成三年度 1992年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1992年度−
*担任教師:?
◎実践の概要
(1)入学後しばらくして子どもたちがカエル、ザリガニ、カメなどを教室へ持ち込み飼いたいと要求した。中でもカエルを持 ってくる子が多かった。
(2)子どもたちは池にカエルを入れて毎日遊んだが、カエルが逃げ出してしまうので、また捕まえに行ったり、逃げ出さない 工夫をしたりしているうちに、だんだんカエルと遊ばなくなった。
(4)教師は、子どもたちはカエルと遊ぶことに満足し、またカエルはほかの所に住みたいのだろうと納得して、カエルへの執 着から離れたのだろうと解釈した。
(5)生き物を飼う楽しさを知った子どもたちは、新たに飼ってみたい動物について話し合った。ウサギ、チャボ、モルモット、 鹿などの名前が挙がったが、全部は飼えないので一番飼いたい動物を飼うということになった。怖くなくてだっこできる 動物ということでは一致したが、何を飼うかではまとまらなかった。
(6)飼いたい動物のいる所へ行って見てくるという彩子の提案にみんなが賛成し、保育園・ペットショップ・鹿公園へ行って ウサギ、チャボ、モルモット、鹿に実際に触れてから、飼う動物を決めることになった。
(7)教師は子どもたちがだっこできて触ると温かい動物を飼って遊びたいという願いを持っていると推測した。教師自身、4種類の動物のうち鹿については飼 育経験がなかったが、鹿公園や動物園に、1年生でも飼育が可能かを問い合わせること にした。
(8)6月8日の保育園、ペットショップに続いて、6月27日に長谷村鹿公園に行った。鹿と触れ合った楽しい経験の印象は大きく、翌日の話し合いでは鹿を 飼いたいという意見が多数出され、他の動物は挙がらなかった。鹿を飼うことに一致した。
<活動課題の決定>
(9)子どもたちは飯田動物園からの手紙にもとづいて鹿を飼う計画を立て始めた。教師も、鹿の飼育方法が確立していないことなど不安はあるものの、子ども たちの鹿への印象のよさに依拠して飼育にチャレンジしてみようと決断した。
(10) 7月10日、長谷村役場へ鹿を飼わせてほしいという依頼の手紙を出した。数日後、2頭の雌の子鹿を9月中ごろから3月まで貸してあげるという返事が来て、 子どもたちは跳び上がって喜んだ。
(11) 7月22日、子どもたちはともがき広場に行き、飯田動物園からの手紙にある鹿を飼う施設の図を見ながら、訓組鹿牧場の計画を立て、小屋を作るグループと運 動場を作るグループに分かれて作業を始めた。教師は、これは子どもたちが経験  したことのない大きな活動だが、鹿を飼うことへの楽しい期待に支えられて困難を乗り越えていくだろうと期待した。
◎コメント
 鹿という動物への関心は、鹿公園に行ったことがあるという知子の発言が発端となっている。入学以来の生き物を飼いたいという要求が持続し、初期のカエル が飽きられていく一方で、子どもたちはいろいろな動物を候補として吟味し、それぞれの触れ合いを体験する中で決めていこうという知恵を出し、全部は無理な のでなんとかして絞り込もうと努力した。
 こうして、まだ対象を確定できないものの、活動が一定の方向性を持って動き始めた時、子どもたちは鹿との対面という強い印象を残す体験をする。このこと により、それまで悩み抜いた活動課題が意外にもすっきりと決定されるに至った。
教師は子どもたちに鹿の飼育が可能か懸念しつつも、飼育方法について問い合わせをするなど、裏方としての活動支援を行なっているが、対立する要求の調整や 活動の方針の決定という決定的局面では、敢えて全面に出ずに子どもたちの議論を見守っているようである。


<9>直組「ヒツジ飼育」実践

◎出典
「ひいちゃんは みんなの ともだち−直組のひつじさん−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−その子らしさを発揮して生き生きと追究し、自らを高めていく子ども−』
平成9年度 1997年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1997年度−
*担任・伊丹 香
◎実践の概要
(1)入学直後、子どもたちは秋庭でヤギの剛ちゃんを見つけ、学校探検をしながら剛ちゃんの所まで行って、背中をなでたり 草をあげたりした。
(2)雨が降った5月13日に、濡れないように小屋の中に入っていた剛ちゃんを見て亜矢が「剛ちゃんが子どもになった。」と叫んだのをきっかけに、クラス 全員が心配して剛ちゃんを見に行った。剛ちゃんの様子をクラスのみんなに伝える子ども が増えてきた。
(3)5月29日に、信州大学農学部農場に遠足に行った。ヒツジを見ると柵の中に手を入れて触る子どもがいる一方、動物に近づこうとしない子もいた。
(4)7月1日、剛ちゃんの所へ行ったときに剛組の子どもたちが来たので、教師は剛組の子に直組の子もいっしょに剛ちゃんと遊ばせてくれないかと頼んでみ たところ、後で、剛ちゃんを1日貸してあげると返事が来た。子どもたちは話し合って、  4日に剛ちゃんを呼ぶことにした。
(5)7月4日、子どもたちは朝から下校時まで剛ちゃんの世話をした。子どもたちは、1日だけの約束だったことを残念がり、剛ちゃんがずっと直組にいれば いいとか、ずっといてくれる生き物がほしいという要求が出てきた。
(6)教師は、一部の子どもたちから芽生えたすっといてくれる生き物がほしいという願いを見守り、動物を飼育していく方向で支援しようと考えた。
(7)7月23日、教師が冬庭に礼組のヒツジがいると話すと、子どもたちは全員が教室から飛び出して廊下の窓からヒツジを見たが、この日ヒツジに触れる機 会はなかった。子どもたちは残念がり、ヒツジが飼いたい、直組で飼うから直ちゃんだ、という声が出てきた。
(8)8月27日、由貴の「ヒツジに会いたい」という発言をきっかけに、グリーンファームにヒツジがいることや、グリーンファームにいるいろいろな動物の ことが話し合われ、ほとんどの子がグリーンファームに行きたいと願ったので、翌日子ど  もたちが電話をかけて見学を申し込んだ。
(9)8月30日、子どもたちはグリーンファームに行って、ヒツジに触れたり、乗せてもらったりした。しかし美穂のようにヒツジにかかわろうとしない子も いた。良夫がヒツジを売ってほしいと社長さんに頼んだりしたが、売り物ではないと断られ、JAへ行けば手掛かりがつかめることを教えてもらった。
(10) 9月1日、グリーンファームでの体験を出し合うなかで、飼いたい動物がいろいろ出されたが、最終的にヒツジ(30人)とウサギ(7人)に分かれた。譲って もらえそうな場所を出し合い、グループごとに電話帳で調べることにした。
(11) 9月29日、秋の遠足で宮本さんの牧場に行った時、子どもたちはヒツジを見つけてえさをやった。帰り際に子どもたちはヒツジをもらいたいと宮本さんにお願 いした。宮本さんの思案する様子に、教師が子どもたちの意思を確かめると、ほ  とんどの子どもが飼いたいと手を挙げた。
(12) 10月2日、ヒツジやウサギにいそうな場所がわかり、グループごとに電話をかけることになった。ヒツジグループは飼いたい人と借りたい人に意見が分かれた が、まず借りてみて飼えそうだったら飼うという義巳の意見でまとまった。他の場所は牛しかいなかったため、宮本さんに頼むことになり、その結果10月13 −16日の4日間貸してもらえることになっ た。ウサギグループもウサギを借りることになった。
(13) 10月13日、子どもたちはいつもより早く登校した。8時30分に教師がヒツジを春庭へ連れてきた。子どもたちはヒツジをひいちゃんと命名し、下校の時に は教室のベランダに夜のねぐらを作った。14日には綱を持つ人について争いが起こり、順番を決めた。
(14) 10月15日の帰りの会で、教師が明日はひいちゃんを帰す日だが何をするのかと問いかけると、子どもたちはやりたいことを出しあっていたが、茂樹が口火を 切って全員がヒツジをもらいたいと言いだし、ヒツジと別れたくない気持ちを口々に語りだした。
(15) 10月16日、子どもたちはヒツジを迎えにきた宮本さんにヒツジをもらいたいとお願いしたが、宮本さんは、約束だから連れて帰る、よく話し合って本当に飼 いたいのなら連絡してほしいと言った。子どもたちは次々に泣き出した。
(16) 同日の帰りの会で茂樹がもう一度宮本さんに電話することを提案したが、他の子どもたちからの反応はなかった。翌日茂樹がもう一度提案すると、亜矢が電話よ り手紙がいいと修正意見を出し、そうすることになった。
(17) 教師のひいちゃんと一緒にいたときのことを歌にするという提案に子どもたちが賛成し、一人ずつが歌詞を書いた。
(18) 10月16日に宮本さんから届いた手紙では、3つの大切なこと(餌やり、糞の始末、声をかけること)を挙げ、それができるかどうかを、またヒツジを貸して あげるから試してみるように提案していた。子どもたちはこの手紙の読み取り学習をした上で、できそうだから借りて試そうという亜矢の提案を受けて、全員が 宮本さんに手紙を書いた。
(19) 11月4日に宮本さんから、6日−15日に貸してあげるという返事が届いた。子どもたちは餌の重さの計り方を学習したり、ねぐら作りをしたりしてその日を 待った。
(20)11月15日、子どもたちはひいちゃんを下さいとお願いしようと話し合った。ひいちゃんを返す時に宮本さんにお願いすると、宮本さんは、うちに 帰っておじいさんがいいと言ったらあげるが、ただではなくてお金がいるということを言い残 して帰った。ひいちゃんと別れた後、子どもたちはお金が必要でもぜひひいちゃんがほしいと話し合った。
(21) 11月19日、宮本さんからひいちゃんを売ってあげてもいいので飼うことになったら返事がほしいという手紙が来た。子どもたちは大喜びし、ひいちゃんを待 ち望む気持ちを口々に語り合った。そして一気に返事を書き上げ、宮本さんに送った。その後宮本さんからひいちゃんを売ってあげるという返事が届き、直組で ひいちゃんを飼っていくことになった。   <活動課題の成立>
◎コメント
 子どもたちは入学直後に剛組のヤギと出会い、これが生き物を飼いたいという要求を持つきっかけとなった。7月23日には礼組のヒツジと出会い、さらに8 月30日にグリーンファームで、また9月29日に宮本さんの牧場でヒツジと出会う。そしてこの出会いが機縁となって、11月には直組でのヒツジの飼育が実 現するに至る。要求の発端からその実現の端緒に到達するまで、実に半年間を要している。
 教師は7月の時点で(まだヒツジに絞られてはいなかったが)ずっといてくれる生き物を飼いたいという子どもたちの願いの実現を支援していくことを決断し ているが、その後ヒツジ飼育の実現までにはさらに4ヶ月を要している。その間2回にわたって宮本さんから借りたヒツジの飼育の試行があり、一学期に剛組の ヤギを1日借りたことも合わせれば3回の試行的な飼育体験が重ねられた。さらにその前提に、校内でヤギやヒツジに接した体験、信大農場・グリーンファー ム・宮本牧場でヒツジその他の動物に接した体験があった。子どもたちは体験を積み重ねることで生き物への思いを高め、飼ってみたいという要求を強めていっ た。
 教師は時には、剛組にヤギを借りる交渉をしたり、ひいちゃんの歌を作る提案をするなど、子どもたちの要求を先取りして動くこともあったが、全体的には各 局面において子どもたちの要求を確認し(11)、より強く自覚させる(14)など、いい意味での「煽り役」を演じている。
 また、宮本さんは、子どもたちのヒツジを譲ってほしいという要求に対して、非常に周到な手だてを踏んで最終的にそれに応じるに至っている。背後において 教師との連絡・意志疎通があったのではないかとも推測されるが、真相はわからない。いずれにせよこの2人の大人が子どもたちに対して適度なハードルを随時 提示しながら、直組の子どもたちがヒツジの継続的飼育という活動課題の成立に向かって進んでいくことを援助したと言えよう。


<10>夏組「ポニー・ヤギ飼育」実践

◎出典
「ポニーさんも ヤギさんも みんな友だち−二種類の動物と共に−」(公開学習指導研究会研究紀要『内から育つ−学びの道すじを生み出しながら追究する子 ども−』平成10年度 1999年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1998年度−
*担任・下郷貴広
◎実践の概要
(1)4月、子どもたちは学校探検でともがき広場に行き、ヒツジやヤギに出会う。
(2)5月中旬には、子どもたちはともがき広場に行くとブタやヤギ、ヒツジと触れ合い、世話をすることを楽しむようにな り、動物と触れ合って楽しかったことを教師に報告しにくるようになった。
(3)5月19日、子どもたちはともがき広場で愛組のポニーを見つけ、興味津々で大騒ぎした。翌20日も子どもたちはポニーのまわりに集まった。一方ヤギ やヒツジにかかわる子もいた。
(4)5月21日、剛組のヤギが出産した。子どもたちは心配そうに、また興味深そうにそのことを話題にしたり、見に行ったりし、ヤギを飼いたいという子も 出てきた。
(5)5月28日、長春がグリーンファームへ行ってきたことを話すと、他の子も自分が行った時の経験を話し、夏組みんなで行くことになった。教師はこれが 子どもたちと動物とのかかわりを広げるきっかけになることを期待した。
(6)6月9日、グリーンファームでいろいろな動物に出会ったが、偶然ポニーの爪切りの場面に出くわし、係の人にポニーに乗せてもらえることになって、子 どもたちは大喜びした。この体験の直後に、夏組で馬を飼いたいという要求が出てきた。
(7)グリーンファーム見学後も、子どもたちはともがき広場で毎日のように動物たちと触れ合い、脱走した剛組のヤギを連れ戻したり、直組の子ヒツジの誕生 を喜んだり、愛組のポニーを1日借りて世話したりした。教師はこうした活動のなか  で高まっていく子どもたちの動物といっしょにいたいという願いを大切にしていこうと考えた。
(8)夏休み明けから子どもたちの会話に再び他クラスの動物のことがよくあがるようになり、ともがき広場にもよく通っていた。「夏組では何の動物を飼うの かなあ。」という実紀の発言から、教師は子どもたちの動物を飼いたいという強い願いを感じとり、何か動物を飼いたい人と尋ねると、ほとんどの子どもが挙手 したが、俊也だけは挙手しなかった。
(9)8月24日、飼いたい動物を発表し合うと、アライグマ、ポニー、イヌ、カメ、ウサギ、ヤギ、七面鳥の7種類があがった。全部は飼えないということに だれもが納得し、絞り込もうとしたが、どうやればいいかわからなかった。
(10) 教師は動物飼育のイメージがつかめていないと判断し、他クラスでは牧場から借りてきたりしていることを紹介した。すると子どもたちは、借りてこられない動 物があることに気付き、アライグマ、イヌ、ウサギ、七面鳥は消えた。残った  ポニー、ヤギ、カメから1つに絞ろうとしたが、子どもたちやどうやったらいいか困ってしまった。そのうち、おはじき 遊びを始める子も出てきた。
(11) 教師は多くの子がポニーを希望していることを知っていたが、その子たちが発言しないので、子どもたちだけで事態を打開することの困難さを感じ、また一方 で、ここでの教師の一言が子どもたちの決定に大きな影響を与えることを懸念し て、何も言えずにいた。
(12) そんな中で雪乃が3つとも1回借りてきてから決めたらいいと提案し、他の意見は出ず、みんな雪乃に賛成した。教師はこのような発想を持つ子どもがいること を頼もしく思い、3種類の動物飼育を試行することにした。
◎コメント
 入学時から動物、しかも普通ペットとして家庭で飼ったりしない大型動物と身近に接することができる環境にいる伊那小の子どもたち。上級生に何クラスかが 常に動物飼育をしている環境のもとで、夏組の子どもたちが動物飼育に関心をもったのは(伊那小においては)自然なことである。
 しかし実践経過を見ると、子どもたちと動物の触れ合いが始まったのが4月、馬を飼ってみたいという声が出てきたのが6月9日、そして動物を飼うことにつ いての話し合いが始まったのが2学期に入ってからの8月24日である。教師は要求が熟してくるのをじっくり待っていたことがわかる。
 驚くのは1年生の子どもたちが願望だけで話し合ってはいないことである。教師が予め条件を限定してはいないにもかかわらず、彼らは飼いたい動物を一種類 にしぼらなければならないと考えた。「先生、みんな飼えないよ。」(敏彦)「一つにしないと大変だよ。」(雪乃)という発言に見られるように、少なくとも 一部の子どもは動物の世話の大変さに気づき、慎重に取り組もうとしている。彼らなりに動物を世話する上級生を観察した結果そう考えるようになったのではな いかと推測される。
 さらにおもしろいのは、一旦飼育する動物を絞り込もうとしたものの、結局雪乃の提案を受けて複数の動物の飼育を試行することになったことである。実現し たい願望を限定していきながらも、要求がぶつかったときに無理に調整せずに並立状態でとりあえずやってみようというのは、大変柔軟な発想である。自分たち で決めて自分たちで実行していくことができるのだという学習活動への自信のようなものがすでに醸成されつつあったのであろうか。

<11>川組「忍者」実践

◎出典
「友だちと一緒に作る楽しさを感じて−川組忍者−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−学びの道すじを生み出しながら追究する子ども−』平成11年度 2000年)
→該当部分は末尾の「別紙資料」に収録
◎基本データ
*1999年度−
*担任・浦野紀和
◎実践の概要
(1)入学当初教室付近をうろうろしていた子どもたちも、様子がわかり出すと外へ飛び出すようになり、学校探検で見つけたジャンボ滑り台で遊ぶようになっ た。他の遊具で遊ぶのは少しの時間で、ジャンボ滑り台に熱中していた。他クラスとか ち合うことも多く、川組だけで乗りたいという声も聞かれた。教師は、子どもたちがスリルやスピード、遊びの工夫を楽  しんでおり、からだ全体で思いきりかかわれる遊びに興味があると判断した。
(2)5月11日、遠足で伊那公園へ行った時、「東京タワー」と呼ばれるロープ遊具のてっぺんに正子が登って周りを見回していた。翌日の遠足で楽しかった ことの話し合いの中で、純二が正子がタワーの頂上に登っていたがすごいと言い、航一が 忍者のようだったと発言した。これをきっかけに忍者とは何かについていろいろ発言が出て、忍者のやることに関心を持 ち始めた子もいたので、教師は忍者について調べていこうと投げかけた。
(3)数日後、忍者について調べてきたことをいろいろと発表し合う中で、忍者はおもしろそう、やろう、僕たち川組忍者クラ スにしよう、等の声が次々出て、クラス中が賛成した。<活動課題の成立>
(4)その後、折り紙の手裏剣や巻き物の絵を持ってくる子どもがいたり、校内探検や肋木登りで忍者のように行動したり、班対抗リレー、かけっこ、雲梯等に 忍者のつもりでチャレンジする子どもたちの姿があった。
(5)忍者遊びの中で遊び場が他クラスとかち合ったり、やりたい時間にあいていないことがあり、自分たちの修行場がほしいという声が出ていた。5月17日 の校内探検の時間に、自分たちだけの秘密基地がほしいという要求が出され、みんなで川 に出かけたが、川は子どもたちのイメージに合わないようだった。5月18日に学校の近くの林に行ったが、ここもだめだった。5月20日、未希が幼稚園の時 行った秘密の場所へみんなで行ったが、そこは神社で秘密の場所とは言えず、さらに 探すことになった。5月25日、学校周辺で秘密基地探しをしていた時、校庭から薮を抜け、小川ぞにに細い道を行った所 に土手を発見した。そこで木登りや坂滑りを楽しんだ。翌26日もそこへ行って遊び、この場所が気に入った子どもたちは、 ここを川組忍者の秘密基地と決めた。教師もこの場所で子どもたちが思いきり体を使って活動し、友達とともに活動する 楽しさを感じ取れるだろうと判断した。
◎コメント
早い時点で子どもから「忍者」というコンセプトが飛び出したことが川組の子どもたちの活動を方向づけ、盛り上げていった。そしてそこには教師の強力な後押 しがあった。教師が忍者について調べることを提案したからこそ、子どもたちは自分たちの活動のイメージを想像の世界によって補強し、既成の活動への意欲を 高めたり、新たな活動を想像していくことができたのである。活動推進の主体はあくまで子どもたちであったが、活動発展のためには教師による後押しは不可欠 であった。

 X−4.事例分析の総括

 検討した11の実践事例は、1学年(〜2学年)の実践であるという共通性はあるが、時期的には伊那小学校の総合学習の初期のものと最近のものを中心に、 報告者が現在までに断片的に収集し得たものに限定されている。従って今回の事例検討から、たとえ1学年に限定してでも一般的結論を引き出すことは早計であ ると判断している。ここでは一般化を避けながらも、たまたま取り上げることができた実践事例から指摘できることを考察する。
 11実践のうち<6><8><9><10>は動物飼育実践である。それぞれの動物の飼育が決定したの は<6>が6月、<8>が7月、<9>が11月、<10>が8月である。それぞれまちまちではあるが、 伊那小学校における動物飼育自体の経験は着々と積み重ねられているにもかかわらず、より後の時期に入学してきた子どもたちの場合も、特定の動物を飼育する という方針の決定までにはかなり長い時間をかけている。先行経験を持つクラスからノウハウを受け継ぐというやり方をすれば、もっと速い活動展開もあり得た はずだが、伊那小学校の教師たちはそのような考え方で学校に蓄積された資源を利用しようとは考えていないようである。
 1980年代前半以降は、おそらくほとんどの年度に入学した新入生たちが、入学直後から、校地内で大きな動物が飼育されているという生活環境を享受する ことができたと思われる。この点は他の学校では考えにくい恵まれた環境と言えるであろう。だから1年生たちが動物と触れ合う喜びや、また逆に不安・怖れな どを日常的に感じるというのは伊那小学校では自然な状態である。しかしその状態から現実に動物飼育に至るまでには、実に慎重な過程が踏まれていると言って よい。身近に動物とふれる機会を多く持つことができる環境が、子どもたちが現実に飼育するという決断をするにあたってそのために必要な諸条件について丁寧 に検討する必要性の自覚を促すのであろうか。教師の対応も、飼育のための諸条件を慎重に検討しながら、子どもたちの要求の集約・明確化を促すというもので ある。
 今回の事例の<1>〜<5>は伊那小学校の総合学習に関する最初の単行本から抽出したが、同書にはたまたま動物飼育の実践がな かった。初期の動物飼育実践について、今後資料収集と分析を進めたい。

 これに対して、<2><3><5><7><11>などは、概して子どもたちの学校での遊 びに端を発して成立していった活動である。もともと子ども自身の欲求に基づく遊びが成立していたところから始まっているので、活動の推進は容易であるが、 興味関心が持続しきれずに活動が停滞するという事態も発生しやすい。そのせいかこれらの実践では、動物飼育実践と比較すると教師が前面に出て活動を提案し たり、活動場面に新しい題材を投げ込んだりすることが多い。時にそれが活動の失敗を招くこともある。
 見方を変えるとこの種の学習活動では、教師は「黒子」に徹するのではなく、活動の一員として積極的に子どもたちに影響力を行使しているとも言える。


Y.今後の継続的研究に向けて

 伊那小学校の各教師の年次を追った実践系図が部分的にしか作成できていないため、途中の学年から開始された実践をピックアップできておらず、今回は1年 生入学当初を取り上げることにとどまった。活動の発端にも学年・年齢的特徴が表れると思われるので、今後他学年の実践も取り上げたい。

 また、「学習活動の開始期」とそれに続く時期をどこで線引きするかは難しかった。試行錯誤を経て活動の対象や課題が一つに集約された時点で区切ったので あるが、活動自体は連続しているので、厳密に線引きすることはできない。時間的資料的制約によって、数年間持続したと思われる学習活動の結末までの記録を 通読した上で開始期の分析を行なうということができなかったため、その後の活動展開も含めてみれば時期区分が妥当でない場合も出てくると思われる。

 先行研究との相違点として、複数の実践の横断的な検討を試みたのであるが、現時点では資料不足で伊那小学校の全体的な実践誌見取り図が描けず、個々の実 践を客観的に定位する作業が進められていない。

 以上のような残された作業課題に今後着手し、さらに伊那小学校実践研究を継続していきたい。


謝辞

 本報告の準備にあたりまして、滋賀大学教育学部の清水毅四郎教授より、貴重な資料を拝借することができました。ここに記して御礼申し上げます。



[別紙資料]
*下線は引用者による。    (この色の文字と下線)→子どもたちの興味・ 関心
               (この色の文字と下線)→教師の判断・はたら きかけ
               (この色の文字と下線)→学習対象・学習課題 決定の局面

<1>1年?組「学校探検」実践
「がっこうたんけん 一年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.80-97 信濃教育会出版部 1980年)

1 にんげんのほね ほねがあるよ

(中略)
 その日の朝、めずらしく教室にいなかった猛文が、青い顔で教室へ飛び込んできた。
 −− 先生! 人間の骨、骨があるよ。
 この声に教室中が騒然となる。「どこにあるの。」「うそだあー。」「ほんとにあったよ。」
 子どもたちを席に着かせる。猛文に人間の骨を見つけた場所をきくが全く要領を得ない。
 猛文 あそこのさあ、階段を昇ってさあ、そこ……。
 −− えーえ、わかんないよ。
 教師 ようし、猛文君に案内してもらってみんなで見にいくか?
 入学式以後、借りてきた猫のようにしていた子どもたちも、教師のこのひと言に歓声をあげる。
 三階から屋上へ出る踊り場に置いてある「鯨の骨」を見て驚いたようである。他の子どもも鯨の骨の大きさと、異様なかっこうに驚き、声の出ないものもい る。
 −− すげえな、ワニの骨だ!
 −− 先生、学校にまだ骨ある?
 −− ここ何階?
 −− ここおにいちゃんたちの部屋?
 だいぶ校内のようすに興味を持ったようである。この分なら、子どもたち自身で校内を調べてみること ができるかもしれない。目の輝きや子どもたちの交わす会話を耳にしながら、「学校巡り」として学習が成立しないものだろうかと教師は考える
教室へもどった子どもに「みんな、あした学校の中を調べてみようか。」と投げかける。「やる、やる。」「調べた │
い。」の声があがる。 │
つぎの日、子どもたちに校舎内で知っている場所、人について発表してもらう。「体育館、便所。」「校長先生、大和│
先生。」子どものあげられるのはこのくらいで、いっしょうけんめい発言しようとするが、名称を知らないので「あそこ│
……。」と金魚のように口をパクパクするだけである。 │
今まで行なわれた「学校巡り」は、廊下へ二列にきちんと並び、「静かに歩くんですよ。お話をしないように。ここは│
職員室、音楽室、図書館。」等々、入学後の一日をかけて校内を引率し、教師の説明で終わってしまう。これが普通であ│
った。 │
「学校調べ」は、子どもの目にだいぶおもしろく、興味のあるものとして映ったようである。「学校調べ」をめぐっ │
て、子どもたちのなかには、さまざまな活動、めあてが生まれてくるにちがいないと教師は考える。 │

2 たんけんたいを つくろう │

教師 それだけしか知らないのかい。 │
− だってえ 先生調べるっていったでしょ。 │
− そうだ、たんけんすればわかるよ。 │
− 探検だ! 探検だ! 探検だ! 探検だ! │
自分たちのみつけ出した「探検」ということばに酔っているかのように大騒ぎである。 │
教師 ようし、探検をしてみるか。 │
(中略)「どこへ探検に行ってもいい。一つ自分で探したら教室へ帰ってくる。」ことを確認し教室の外へ出してやる。│
十秒もしないうちに帰ってくる紀子、十分ちかく経過するのに帰ってこない猛文、十五分で全員がそろう。探検してき│
た興奮がさめるのを待ってみんなで発表しあう。教師の板書に合わせてたどたどしく読みはじめる。

・げたばこ ・たいいくかん ・げんかん ・かいだん ・きゅうしょくしつ ・むこうのはいるところ
・しらないせんせい ・おにいさん ・おねえさん


ここから「ひらがな」の読みの学習がはじまる。(中略)教師が、探検してきたところが意外に少ないのに驚いてみせる│
と「もっとやりたい。」「二人でやったほうがいいよ。」「四人がいい。」などの声に、グループを作ってもっとくわし│
く探検することになる。元気のよい男子は教室の外へ出たくてうずうずしている。 │
そこで子どもたちにグループ作りのことを提案する。 │
教師 どうやってグループを作ったらよいかな。 │
典夫 二人がいい。 │
栄介 二人じゃ探検隊なんていわないよ。 ││ ここで「探検隊」ということばが生まれる。隊長も必要だということで決めることになる。隊の人数は、いろいろもめ│
たが、四人と五人の隊にすることに落ち着いた。 │
ところが、どのように決めていくかの段になると、まだよく知らぬ相手、名前も定かでない相手では決めようがない。│
信史の考えた「すわっている順序に四人ずつ決めていく。」ことになる。探検隊の編制で友だちの氏名もだいぶ覚えてき│
た。教師も顔と名前がようやく一致するようになる。 │
隊長は、みるからに力と口の強そうな者がなった。隊が編制されたところで自分の探検隊に名前が欲しいという。これ│
は必要感があってでてきたアイディアではなく、幼稚園、保育所時にグループには必ず名前があったところからでてきた│
ものらしい。 │
(中略) │
各班ともグループとして話し合うのは、はじめてである。(中略)……午前の学習が終了する頃、ようやく各班からの│
「探検隊名」の発表段階になる。 │
(後略)





<2>1年?組「フープ遊び」実践
「わっこといっしょに 一年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.116-135 信濃教育会出版部 1980年)
│ 1 もっと軽いわっこがあるといいね │
│ (中略) │
│ 入学してから、一か月が過ぎようとしていた四月末のある日、子どもたちの遊び場になっている中庭に、いくつかの古│
│タイヤが搬入された。この古タイヤは、子どもたちの遊びを活発にさせる遊具のひとつになればよいと考え、教師が、自│
│動車修理工場にその斡旋を依頼しておいたものである。 │
│ おりしも、中庭で、子どもたちが遊びに熱中しているときであった。小型トラックに載せられてやってきた古タイヤ │
│を、めざとく見つけた信一は、それまでの砂場の遊びを放り出して、早速自動車のところに駆け寄ってきた。「先生、ぼ│
│くたちが使うの? 使っていいの?」荷台から降ろされたひとつのタイヤに、はやくも手をかけながら、その瞳を期待と│
│好奇心にきらきらと燃え上がらせていた。三々五々集まってきた他の子どもたちも、信一のこのことばを待っていたかの│
│ように「わあーい。」と歓声をあげ、「タイヤ、使ってもいいでしょう?」「タイヤ、つかいたーい。」と口々にその欲│
│求をだした。 │
│ 小型トラックから降ろされるタイヤを待つのももどかしそうに、タイヤを奪いあっては、早速タイヤ遊びを始めた。ひ│
│とつのタイヤを三人も四人もかかってようやく転がしている。タイヤがうまく転がったといっては歓声をあげ、倒れたタ│
│イヤを先を争ってひきおこしては歓声を上げている。転がしてみたり、ぶつけあってみたり、持ち上げてみたり、積み上│
│げてみたり、子どもたちの活動は砂場中心の遊びからタイヤ遊びを中心とする方向へ流れていった。 │
│ 学級全員でタイヤ転がしのリレーやぶつけあいの競争をするようになった。 │
│ しかし、一年生の子どもたちにとって、重たいという抵抗がうまれたとき、子どもたちの興味は急に冷えていった。大│
│きいタイヤを恐る恐る転がしていた夏子と昭子は、「もっと軽い方がいい。」「もっと軽いタイヤがあればいいのに │
│ね。」と訴えた。 │
│ タイヤ遊びの熱がさめつつあった五月末、鶴子が、東京のおばちゃんから買ってもらったというブレスレット(腕輪)│
│をいくつか持ってきた。ブレスレットは女の子たちの興味をひき、お互に持ちよったもので机の上の遊びが始まった。ぶ│
│つけあったり、転がしたりして男の子も交えて始まったこの遊びは、ミニタイヤ遊びといえるものであった。狭い机の上│
│を利用してやっていたこの遊びも、たちまち、子どもたちのなかで混乱をうみ、トラブルのもとになった。「もっと広い│
│ところに移ってやろうよ。」という美子の提案で、遊ぶ場所を床に移したが、ブレスレットそのものの数が少ないので、│
│また新しいトラブルをうむことになった。そんな折、少しでも自分の思いどおりにならないと、すぐ泣いてしまう治夫 │
│が、「先生、もう少し大きな輪をもってくればいいに。」といってきた。 │
│ 教師 もっと大きな輪? │
│ 治夫 そうだよ。ぼくたちの幼稚園にあったよ。このくらい……。 │
│と、両手をいっぱいに広げて彼はみせた。 │
│ 美子 わたしたちのところにだってあったよ。 │
│ 久江 M幼稚園にだってあったよね。 │
│ 年夫 うん、黄色のがね。転がして遊んだんだに。 │
│ 昭子 うん、大きいのだと、外でだって転がせるに。 │
│ 子どもたちは、軽くてもっと大きなわっこがほしいという欲求をもつようになった。 │
│ │
│ 2 わっこ(フープ)といっしょに │
│ │
│ 教室にもちこまれた段ボールの大きな箱に子どもたちの視線が集中する。ふたを開く教師の手元へ、子どもたちは一瞬│
│目を凝らす。青いフープが一本、また一本。ピンクのフープが一本、また一本。次から次に取り出されるフープをかたず│
│を飲んで見守っていた子どもたちの中にざわめきが起こり、しだいに教室中に広がっていった。 │
│ 「先生。」と、突然、治夫が呼びかける。「ぼくたちにそのわっこくれるの?」半分期待し、半分疑うような声で問い│
│かけてきた。黙ってうなずくと、その瞬間、子どもたちはいっせいに「わあーい。」と歓声をあげ、教室中大さわぎにな│
│った。 │
│ 勝夫の「ひとり一本ずつくれるんでしょう? すぐ、やるんでしょう?。」という発言に、ちょっと静まった子どもた│
│ちは、「やろう。やろう。」「すぐにやろう。」と主張した。早速、やってみようということでひとりが一本ずつのフー│
│プをもって体育館に移動する。 │
│ 体育館でフープを使って遊ぶこと七十五分。「先生、汗がでちゃった。」「先生、のど、かわいちゃったよ。」が第一│
│声である。 │
│ 子どもたちの活動は、全く自由気ままである。他の子の所作をみてまねをする子。他の子の動きに全く無頓着な子。 │
│二、三人の集団になり、また、ひとりひとりに分散していく子どもたち。 │
│ (中略) │
│ 子どもたちにとって、輪の中、そこはもう、自分だけの世界である。輪をもって走る。それは、ある時は自動車であ │
│り、またある時は、空を飛ぶジェット機である。個々に動いていた子どもたちは、自然につながり、離れ、またつなが │
│る。恵子と道子たちは、つながって走りながら電車ごっこを始めた。体育館のすみにある黒板に「えき」と書いた。この│
│電車に線路はない。自由に走って自由につながる。先頭のものが汽笛を鳴らす。長い電車ができる。短い電車ができる。│
│ (中略) │
│ 電車は、また出発していく。きょうの学習はここでおわり、そのまま廊下が線路になって、いくつもつながって電車は│
│走る。教室が終着駅だった。 │
│ このようにして、子どもたちのやった所作は、およそ二十種にのぼった。その主なものは(類似したものを一種とし │
│て)、わっこをくぐる、ころがす、まわす、上に投げ上げうけとる、水平に投げとばす、前回してとぶ、後ろ回しでと │
│ぶ、後ろ回しでとぶ、腰で回す、腰にあてがって走る、輪なげのまねをする、わっこをつなげての電車ごっこ、他の補助│
│具に使うなどであった。 │
│ 翌日、登校してきた子どもたちは、先を争ってフープ遊びを始めた。しかし、子どもたちのかかわりは、三日ほどでう│
│すれてしまった。登校してからフープをもって中庭に出ても、前回しとびや後ろ回しとびをわずかばかりやって、あとは│
│砂場遊びやボールけり遊びに興ずるようになっていった。 │
│(後略) │



<3>1〜2?年剛組「お店屋さん」実践
「お店やさん 一・二年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.136-167 信濃教育会出版部 1980年)
│ 1 えー 兜は いらんかねー │
│ │
│ 春の日だまりには、夢がある。四月の教室はまだ寒く、登校してきた子どもたちは、暖かみを求めて教室から庭に続く│
│ベランダに集まっていった。そこは、入学して間もない子どもたちの社交場であり、一日の生活が、そこでの語らいの中│
│から始まっていくようであった。が、特にその日は、いつになくにぎやかであった。 │
│ 克子 はい、いらっしゃい、いらっしゃい。 │
│ 光一 これ、安くしとくよ、買ってくださいよ。 │
│ 典子 これとこれ、くださいな。 │
│ 庭のすみからとってきたタンポポやナズナを並べて、六・七人の子どもたちが、お店やさんごっこに熱中している。売│
│るものがなくなると、次々とそこにある石ころや草が集められ、「今度は典ちゃんたちが、お店やさんになる番だから │
│ね。」と、物の集まった子が売り手にかわり楽しそうだ。(中略) │
│ 子どもたちの未知の物への興味は強い。入学後の学校探検は、さながら月へ着陸した飛行士たちのようだ。この探検で│
│子どもたちがなにより驚いたのは、学校の中に一教室分もあるお店があったことであった。 │
│ きょうは、あっちのこうしゃに、たんけんにいきました。こうばいというおみせがあったので、びっくりしました。│
│ けしごむに、えんぴつに、まりに、のうとに、いろんなものを、おばさんが、うっていました。うんといろいろありま│
│ した。 (美智子) │
│ 翌日から、子どもたちの購買通いが始まった。「先生、ボール買いにいっていい?」と和夫、その後ろに十数人ものと│
│りまきを従えて購買にでかけ、品物を一つ一つ見て歩き、おばさんの応対の様子をくいいるように見つめていた。 │
│ 春の遠足の前日、「おやつは、自分で買ってもいいの?」と聞くので、「百円だよ。できる人は、自分で買ってごらん│
│なさい。」と言っておいた。翌日の桜の花の下での昼食は、 │
│ 隆治 先生ね。このチョコが五十円でね、エビセンが十円で、みんな自分で買ったよ。 │
│ (中略) │
│ 大介 ぼくも、お店の人がおまけしてくれた。 │
│ 友則 あっ、それ十円? おれんとこ十五円だったに。 │
│と、どの子も自分での買い物の様子を喜々として話してくれた。子どもたちがこれほど買い物に興味を示し、お店の様子│
│や売り方の細部にまで観察の目を向けてくるとは、教師自身の驚きでもあった。同時に、多くの子が百円以下ならお金を│
│使えば直感的に計算ができることを知った。 │
│ 五月の子どもの日をむかえて、子どもたちは新聞紙での兜作りにとりくんだ。(中略)「えー、兜はいらんかねー。」│
│と、敏江の兜屋さんが開店した。チャンバラでボロボロになってしまった兜をどうにか頭にのせていた健一たちが、どっ│
│と兜屋さんをとり囲んだ。敏江の机上には、大小さまざまな兜が並び、クレパスで色がつけられていた。 │
│ 健一 おい、これただか? これ(自分の兜)と交換しろや。 │
│ 敏江 だめ! │
│ 理恵 この小さいのかわいいな。くれる? │
│ 敏江 うん、いいよ。 │
│ 理恵 はい、お金。 │
│と、お金を払うふりのタッチをしたり、誠は家から持ってきていたヒキガエルをとりだして「な、たのむ。これと交換し│
│てや。」と言って、そのユーモラスな光景にみんなが笑ったりして、子どもの日の兜作りがいつの間にか兜や刀を作って│
│売るお店やさんごっこに転換されていってしまった。 │
│ こうして学級の中に高まってきたお店やさんごっこは、商品作りにおいてどの子も自分の発想で熱中でき、お店作りや│
│販売方法において自由に発展できる素地を持つこと、そしてなによりもこの活動は、必ず売り手と買い手という相手との│
│かかわりを必要とするものであることから、自己中心的なこの年代の子どもたちに無意識のうちに相手の立場を考える心│
│情を育て、話し合うことの大切さ、協力することの良さを醸成できるものであると考えた。 │
│ │
│ 2 剛組しいたけ おいしいよ │
│ │
│ この学習が、どう発展していくのであろうか。その先を見通した時、お店やさんごっこはいずれ実際のお店の活動へと│
│進むだろうと予想され、そこにはお金の計算、商品の実物化、流通社会の複雑なしくみなど、子どもたちにとって大きな│
│抵抗があるように思われた。こうした抵抗を、子どもたちが意欲的に乗り越えていけるようにするには、いったいどうし│
│たらよいだろうか……。 │
│ 陽ざしが一日一日と強くなり、土の色が黒々としてきたころ、二年生の兄弟学級からひとりひとりに袋入りのアサガオ│
│の種が届けられた。大よろこびの子どもたちは、「先生、はやく播こう。」とさわぎたてた。ところが袋の封を切ってみ│
│ると、どの袋の中からも「ひとりひとり、きれいな花をさかせて、二年生にも見せてください。」という手紙が出てき │
│た。 │
│ 雅子 先生、鉢がなくっちゃだめだ。 │
│ 教師 そうだな。ひとりひとりの鉢がなくっちゃだめだな。よわったな。 │
│ 利光 うちから持ってくりゃいいや。 │
│ 茂 ぼくんち、鉢なんかないよ。そういう人はどうするの? │
│ 良江 おうちの人からお金もらって買えばいい。 │
│ 隆一 お金なんて、なかなかくれんわ。 │
│ ……………… │
│ 由美 なにかして、みんなでお金もうけして、それで買えばいいじゃん。 │
│ 理恵 おばあちゃんの肩たたくとお金をくれる。 │
│ 隆一 そんなことをしたってくれないうちの人はどうするだ。 │
│ 教師 みんなでお金もうけできる方法をあしたまでに考えてくることにしようか。先生も考えてくるでな。 │
│ 翌日の生活発表のとき、白布に包んで鈴なりに椎茸のついた原木を教室に持ちこんだ。「何だ!」と大さわぎ。白布を│
│パッととると「すげえ、椎茸だ。」「いっぱいなってるなあー。」「かわいい赤ちゃんがある。」と、健一たちはとびだ│
│してきてさわり始めた。用意しておいたカセットテープのスイッチを入れると、「私は、上諏訪で椎茸を育てているおじ│
│さんです……。」と、できるだけ多くの人に椎茸をすきになってもらいたいこと、子どもでも育てられる方法、一本の原│
│木で二百円くらいの椎茸がとれ、一年で何回もとれることが述べられていた。「やる! 育ててみたい!」全員一致で椎│
│茸づくりにとりくむことになった。 │
│ 椎茸のおじさんに要請の手紙をみんなで書き、数日すると約百五十本の原木と、不要になったというフレームや栽培に│
│必要な道具が届けられた。(中略) │
│ さっそく椎茸さんの小屋作りに入ったがなかなかの重労働にだんだん子どもたちの意欲はうすれていってしまった。 │
│「はやく小屋を作ってやらんと椎茸さんがかわいそう。」という理恵たちは、日曜日も登校してがんばったが、多くの子│
│どもたちは近くの砂場で砂遊びに興じていた。やはり、教師のもちこんだ椎茸にはかかわりが薄くて無理なのか……。そ│
│れでも、意外にはやく小屋を作り終え、椎茸の仕込みをすませた。 │
│ (中略)フレームの中が暖かいので、どんどん大きくなる椎茸は、子どもたちのもうけ心に再び火をつけた。「お店を│
│作らなくっちゃ。」「広告を出して、先生たちに買ってもらおう。」……次々に学習計画がたてられた。ダンボール箱を│
│持ちよってカッターで切り、真新しい絵の具で着色し、折り紙の飾りをつけるとどうにかお店らしいものができあがっ │
│た。勝彦たちは、「宣伝カーを作るんだ。」とダンボール箱をきざむ。「金庫を作る。」と隆一、克子は紙をまるめてマ│
│イクをいくつも作っている。教室中が紙くずの山となった。 │
│ 健一 このお店、売るとこばっかでどっちから買うだ? │
│ 由美 椎茸さんは、どんな袋に入れて売るの? │
│ 茂 いくらで売るだ? │
│ 二つのお店ができあがってくると、買う人の立場にたつ初めてのつぶやきが生まれた。「お店へ行って、どうやって売│
│っているか見てくればいい。」という提案で、近くのスーパーへ見学にでかけた。「先生、百グラムってなんだ?」「ナ│
│イロン袋に入って、なんとかしいたけって名前が書いてある。」……。翌日、学級名をとって、「剛組しいたけ」と名づ│
│けられ、見本に買ってきた一袋の椎茸から百グラムの重さをはかりで知り、見本に似せた袋が作られ、お店と同じ値段が│
│つけられた。翌日の開店を前に初めての広告作りなどに追われて一日が終わった。子どもたちは、一度活動目的がはっき│
│りして火がつくと、たいへんなエネルギーを燃やすことを知らされた一日であった。 │
│ (後略) │



<4>もみっ子学年(1〜2?年)「つつじ園」実践
「もみっ子つつじえん 一・二年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.169-188 信濃教育会出版部 1980年)
│ 1 ぼくたちのつつじになるの? │
│ │
│ 春日城址は、伊那市のほぼ中央、天竜川のつくり出した小高い河岸段丘の上にある。 │
│ (中略) │
│ やまびこ国体の年、昭和五十三年度伊那小学校新入生は、入学記念につつじの苗を植樹した。 │
│ 例年、入学してくる一年生は、校舎のまわりに桜やさつきなどを植えるのがならわしになっているけれども、伊那小学│
│校は緑が豊富で、むしろ、生い繁る枝で採光の悪い教室さえもでているほどである。 │
│ 学年会で相談した結果、おもいきって校地外へ植樹することを決め、春日城址公園の一角を市から提供してもらうこと│
│ができた。(中略)広さは、約三百平方メートルである。 │
│ 何を植えようかまよっているなかで、つつじならば寄付をしてくださるという父母の方からの申し出があった。さっそ│
│く子どもたちにつつじの話をしたところ、 │
│ − うちにもある。いっぱいある。 │
│ − 岡谷の公園(鶴峰公園)で見たことがある。 │
│ − 花を食べるんだよ。 │
│ − ぼくたちのつつじになるの? │
│ − 春日公園なら行ったことがある。 │
│ このようすならば、つつじと子どもたちとのかかわり合いが期待できそうである。 │
│ 五月の下旬ごろ開花するキリシマツツジという種類のもので、どこででも育ち、やや酸性のやせぎみの土地のほうが、│
│花がよくつくという。すでに七月、花の咲く時期こそ逃してしまったけれども、来年の春、そしてさ来年も、そしてその│
│次の年も……伊那小学校を卒業して、中学、高校へ進学しても、社会人になっても、伊那市に住んでいるかぎり、このつ│
│つじと春日公園には、一生涯つづくであろうと思われるかかわり合いが期待できそうである。 │
│ 七月四日、つゆあけの暑い日であった。親子とも弁当を持って春日公園へむかった。学校から歩いて三十分ほどの距離│
│である。それぞれ持っていった道具で穴を掘り、親が一本、子どもが一本と、分けてもらったつつじの苗を植えて水をや│
│った。 │
│ この学年の児童数は二百八十人、それぞれの父母と教師の分、合わせて六百本ほどのつつじを植樹したわけである。 │
│ (中略) │
│ 伊那小学校の玄関前には樅の大木が三本、みごとな枝を広げてそびえ立っている。 │
│ 四月当初、学年通信の名称を考えている際、樅の木のようにすくすくと大きく育ってほしいという願いをこめて「もみ│
│の木」という名前にした。 │
│ この学年通信「もみの木」の紙上で、父母につつじ園の名称を募集したところ、「もみの木」ならば「もみっ子」……│
│「もみっ子つつじえん」がよかろうということで、学年PTAの役員会において命名がなされた。 │
│ 「も・み・っ・子・つ・つ・じ・え・ん」この軽快なことばのひびきが、のちに児童をして「もみっ子つつじえんのう│
│た」を作らしめたのである。 │
│ このようにして、この学年は「もみっ子学年」と呼ばれるようになり、学年の行事を行うに当たっては、親も子も教師│
│も、春日公園の「もみっ子つつじえん」に共通の広場を求めることができるようになったのである。 │
│ │
│ 2 つつじさんといっしょに林間学校ができる │
│ │
│ 夏休み中の八月五日は、中間登校日である。 │
│ 休み前半の子どもたちの生活ぶりをみなおし、後半をより有意義に過せるよう指導するというのが、その本来の目的で│
│ある。 │
│ ところがとかくマンネリ化しやすいので、学年会で相談した結果、この日を「夏休み林間学校」という形にして、なに│
│か新しい企画をしようということになった。 │
│ 他の学年がみな、児童を学校へ集合させて、それぞれ指導を行なっているなかで、わが「もみっ子学年」は、春日公園│
│の「もみっ子つつじえん」において、夏休み林間学校を開設するはこびとなった。 │
│ 「つつじさんといっしょに、夏休み林間学校ができる。」と、子どもたちは大はしゃぎであった。 │
│ (中略) │
│ このところ晴天つづきでつつじも水をほしがっている。子どもたちは、それぞれポリバケツ、如露、牛乳ビン、ビニー│
│ル袋などを道具に使って、つつじの水くれをした。 │
│ 自分のつつじとお母さんのつつじと、二本分のつつじの世話をするわけである。ところが、生い繁る雑草に、自分のつ│
│つじを見失ってしまい、隣の子どもといさかいをおこす子どもがでてきた。 │
│ 「先生! つつじさんに名札をつけてやりゃわかるに。」という子どもたちの提案をうけて、小さい短冊形のプラスチ│
│ック板を用意してやった。表へは自分の名前を書いたが、板の裏へ、つつじの名前を考えて書き入れている子どももい │
│た。「つつじのヤマトくん」「つつじのみいちゃん」「つつじのももちゃん」などである。 │
│ (中略) │
│ この学年の子どもたちは、夏休み中の中間登校日を、林間学校というかたちで、教師や友だちとかかわり、つつじとか│
│かわり合うことができた。「もみっ子つつじえん」を共通の広場とする一回目の学年行事であった。 │
│ (後略) │



<5>1〜2?年雅組「伊那小ハイランド」実践
「伊那小ハイランド 一・二年」
(伊那小学校『内から育つ子ら−小学校低学年における総合学習の展開−』P.189-217 信濃教育会出版部 1980年)
│ (前略) │
│ 2 ハイランドだ 伊那小ハイランド 伊那小ハイランドだ │
│ │
│ 四月入学以来二か月間、子どもたちは毎日冬庭に出て、石づみの活動からはじまって泥のおだんご作り、砂遊び、石を│
│割ってその破片を元の形にくっつけるパズル遊びといった石や砂や土を題材とした活動をごく自然発生的な形で、つぎか│
│らつぎへ展開してきていた。 │
│ それらを見ていると、子どもというものは、どんな小さな石の中にも手がかりを見つけてかかわり、喜々としてその石│
│との活動を発展させていき、そういうことをとおして、学ぶ意欲というものを自分で持ち続けるようである。 │
│ この石や砂や土とのかかわりは、子どもたちに専心的な活動をさせるばかりでなく、人類文化の源ともいえる石器作 │
│り、土器作りに通じる活動を創造していくのではないかと期待された。 │
│ 一方、子どもたちは、夢のある遊園地とかフィールドアスレチックなどの施設で遊ぶことも大好きである。中でも春の│
│遠足で経験した東小学校のジャンボすべり台に大きな印象を受けており、遠足の絵には多くのものがそこで喜々として遊│
│んだようすを描いていた。 │
│ 六月十六日、「先生はね、このクラスのみんながいつも石や砂や土と遊んでいるのを見ていたのでね、きのうの夜夢を│
│見たよ。それは、みんなで石や砂や土で遊んでそれを集めていったら、大きな大きな山ができたんだよ、そして、その大│
│きな山が東小のジャンボすべり台の倍くらいになって、伊那小の人たちが、どんどんすべっていたんだよ。」と夢の話を│
│した。子どもたちは、そのことばに目を輝かせて反応し、「先生、それ作ろう。うんとでっかいの作ろう。」と言いだし│
│た。そして、それを作る場所はいつも遊んでいる冬庭がいいということになった。 │
│ 教師 すべり台ができたらそれからどうするの? │
│ 恵子 そのすべり台の横にトンネルを掘って、その壁に、私たちが石の粉で絵を描こうよ。 │
│ 安雄 すべり台だけじゃなくて、お化けやしきも作ろう。 │
│ 広司 動物園もあればいいね。 │
│ 恵三 ジェットコースター。ジェットコースター。 │
│ − 遊園地だね。 │
│ 千里 なんだか私がこの間行った富士急ハイランドみたいだね。 │
│ − ぼく富士急ハイランドに、行ったことあるよ。 │
│ − 行った人? │
│ 明彦 ハイランドだ。伊那小ハイランド。伊那小ハイランドだ。 │
│ 教師 伊那小ハイランドだね。 │
│といった話し合いを通して、子どもたちは、冬庭に大きな夢がいっぱいある「伊那小ハイランド」を作っていくんだとい│
│う活動目標をめいめいの心に刻み込んでいったのである。 │
│ この日から子どもたちは、何かにつけて伊那小ハイランドを意識するようになり、「ハイランドで使う石の粉、うちで│
│作ってきたよ。」「すべり台の」セメント、大工さんから百円で買ってきたよ。」「いつ作るの。はやく作ろう。」など│
│と、意欲的であった。 │
│ │
│ 3 先生 ひこうきはどこ? でんしゃはどこ? │
│ │
│ 六月二十三日、教室の棚の上には、四月から子どもたちが大小さまざまな形の石をボンドでくっつけて作ってきた動物│
│や乗り物が所せましと置かれており、その整理に困っていた。 │
│ そこで、「伊那小ハイランドに動物園を作りたいと言った人もいたけど、この棚の上の作品を使って、冬庭のコンクリ│
│ートの所に動物園や駅や飛行場などを作ろう。」と提案した。 │
│ 教師からの提案ではあったが子どもたちは待望のハイランドが作れるということでみんな賛成し、すぐに自分の作品を│
│持って、冬庭に飛び出していった。しかし、コンクリ−トの所に着くと、われ先に勝手な場所に作品を置いてしまう。中│
│にはどこに置いたらよいのかわからず、ただ立っているものもある。 │
│ 子どもには、伊那小ハイランドを作るんだという意欲は確かにあったけれども、それぞれの石の作品をどこに、どのよ│
│うに置いたらよいのかという具体的なイメージが作られていなかったせいである。しかたなく教師が、チョークで「この│
│へんはペンギンなどの鳥の仲間のところ。」「ここのへんはうさぎなどの動物のところ。」などと場所を指定していくと│
│「先生、ひこうきはどこ?」「先生、でんしゃはどこ?」などと、教師の指示を求めて大騒ぎである。 │
│ ところが、置き場所の指定されなかった「人の顔」の作品などは、どこに置いたらよいのかわからず、どこにでも置い│
│てしまう。そして、それぞれの作品を置いてしまうと石場へ行って、石集めや石づみをはじめたり、おいかけっこをはじ│
│めたりするものもでてきた。一方その置き方もただ置いてあるだけという感じで、その子らしい創意工夫がもう一つ足り│
│ないようであった。それは、石を使った作品づくりをする段階で、きょうのような活動を各自が予想していなかったせい│
│もあろうが、かなり前に作ったものであったために作品に対する関心がややうすれているせいでもあった。 │
│ 教室に戻ってみると、作者のわからなくなってしまったカメやスポーツカーなどの作品が棚の上にまだ残っていた。 │
│ │
│(後略) │



<6>春組「牛飼育」実践
<6>-1長野県伊那小学校六年春組『はるみちゃん、ローラ、“大好き!!” 伊那小春組の子どもたちと二頭の牛との感動の記
録』(1992年 P.1,P.7-15より抜粋)より
│ 「先生、牛さんを飼おうよ。」 │
│ あの時の一言で、春組は牛との生活が始まりました。あの時そう言わなかったら、ぼくたちは、この六年間を普通の小│
│ 学生として過ごしていたかも知れません。 │
│ 今、ぼくは一年生の四月に「牛さんを飼おうよ。」と言って良かったと思っています。(後略) │
│ 春組思い出の本作り編集長 川手 輔 │
│(中略) │
│ピカピカの一年生 │
│伊那小学校はヤギがいる │
│(中略) │
│ 入学式から、しばらくたったある日、ヤギが一年生の教室の横の廊下を走っていました。「わあ、ヤギだ。」   │
│ みんな教室をとび出して行きました。ヤギはすばしっこいので、なかなかつかまりませんでした。男の子が、丸くて黒│
│豆みたいな物を拾ってきました。 │
│「先生、これなあに?」 │
│「これは、ヤギのうんちだよ。」 │
│「キャー。」 │
│ このように、この伊那小学校は、犬や羊などたくさんの動物が飼われているおもしろい学校だったのです。 │
│みんな、伊那小学校がいっぺんに気に入りました。 │
│ │
│この牛さん角がないよ │
│ 入学して、二週間位たちました。教室の後ろに、牛さんのポスターが貼ってありました。それを陽里君や由香ちゃんが│
│見付けました。 [引用者註:ポスターの写真あり] │
│「この牛さん角がないよ。」 │
│ そうすると輔君が言いました。 │
│「先生、ぼく牛さんが飼いたいな。」 │
│「ええ!牛を飼うの?」 │
│「うん、いいじゃん。先生牛さん飼おうよ。」 │
│ みんなは、平気な顔をして楽しそうに言うのでした。 │
│「牛なんか大きすぎて、一年生には飼えないぞ。」 │
│ 先生は、頭をかかえてしまいました。 │
│ 確かに、一年生で大きな牛を飼うなんて、とてもたいへんなことなのです。でも、そんな先生の心配をよそに、みんな│
│ずっと牛さんのポスターを見ていました。 │
│ みんなは、牛さんについて、知っていることを話し合いました。そして次々に、おもしろいことに気付きました。 │
│一、牛さんの牛乳は、とっても栄養がある。 │
│二、牛さんのうんちは、肥料になる。 │
│三、牛さんには、角がある。でも、あのポスターの牛さんは角がない。どうしてかなぁ。 │
│四、牛さんは、草を食べるなど、次々に話すのでした。 │
│ すると、また輔君が、 │
│「ぼくは、牛さんを飼えばいいと思います。」 │
│ といいました。 │
│「賛成。ぼくも牛さんを飼いたいです。」 │
│ という声が次々と続きました。 │
│「牛さんは大きいからいやだなぁ。」 │
│ という人もいます。 │
│「犬を飼えばいいじゃん。」 │
│ という人もいました。春組の教室はとてもにぎやかです。 │
│ ││牛さんは大きいからいやだな │
│ 五月十三日、春組では何を飼うのか話し合うことになりました。 │
│ 牛さんはいやだという人が、リス、ネコ、犬など色々な動物が飼いたいと言いました。 │
│「牛さんが飼いたいよ。」 │
│「あのね、牧場を作って牛さんをそこで飼えばいいと思うよ。」 │
│「リスがいいよ、牛さんは大きくていやだよ。」 │
│ などど意見が分かれました。でも、牛さんが飼いたいという意見が圧倒的に多かったのです。 │
│ その後、何回か話し合いましたが、意見がなかなかまとまりませんでした。 │
│ 六月になったある日、先生が言いました。 │
│「みんなは、本物の牛さんを見たことがあるかい。」 │
│ するとほとんどの人が │
│「見たことなあい。」 │
│ と答え、お互いの顔を見つめるのでした。 │
│「牛さん見たい。」 │
│「牛さんをさわってみたい。」 │
│「大きいぞ。」 │
│ 先生はみんなをおどろかします。 │
│「ええ、やだな。」 │
│ 教室中大さわぎになりました。 │
│ │
│美篶牧場見学 │
│牛さんに会いに行きたぁい │
│ みんなは、牛さんに会いたくてうずうずしています。すると先生が、 │
│「美篶牧場という牧場があるけど行くかい?」 │
│ と言いました。するとみんなは、「行く、行く。」と大さわぎです。美篶牧場という牧場があることを、初めて知った│
│のです。そこで、みんなはその美篶牧場まで、歩いていくことに決めました。でも、伊那小学校から牧場まで六キロメー│
│トルもあります。とても遠いけど、牛さんに会いに行くには、がんばるしかありません。 │
│ 行く日が決まりました。六月二十八日の朝、八時十分出発です。 │
│(中略) │
│ │
│わっ!手をなめられちゃった │
│(中略) │
│ そこには、大きな牛が何十頭もいました。春組のみんなは、びっくりしました。 │
│「わぁ!牛さんがいっぱいいる!」 │
│「やだぁ、大きくてこわいよ。」 │
│「くさいなぁ。あっ!うんちをしている。」 │
│「わぁ!おなかからおしっこしてる!」 │
│ みんな大さわぎです。突然のさわぎに、牛さんもびっくり。少し興奮気味です。牛さんにさわりたいけど、みんなは、│
│手をのばしてみるものの、あの大きな牛さんににらまれてしまうと、なかなかさわることができません。その時、西尾君│
│がワラをやりました。すると、牛さんも長い舌をのばして、ペロリ。 │
│「あっ、ぼくも。」と、他の人も初めはこわがっていたけれど、牛さんがちょっとおくびょう者でもあるということが分│
│かり、自分の体の何倍もある牛さんにさわるようになりました。 │
│ もう、牛さんとみんなは友達です。 │
│「わっ、手をなめられちゃった!」 │
│ 次に、子牛ばかりいる牛舎に入りました。 │
│(中略) │
│ みんなは、くたくたです。でも、牛さんにさわれたので、うれしくてうれしくて、帰りのバスの中は、牛さんの話でい│
│っぱいでした。 │
│「ああ、牛さんになめられたときは、びっくりしたなぁ。」 │
│「牛さんってかわいいね。」 │
│「牛さんの目は、くりくりしていて、すごく大きかったなぁ。」 │
│「ぼく、やっぱり牛さんが飼いたいなぁ。」 │
│「あっ、わたしも!」 │
│ 飼いたい気持ちでいっぱいです。 │
│ 春組のみんなは、牛さんが大好きになりました。 │
│ │
│牛さんを飼うぞ │
│やっぱり牛さんがいいよ │
│ 美篶牧場から帰ってきた次の日、みんなは見学をしてきて思ったことや分かったことを話し合いました。 │
│「牛さんの目がとってもかわいかったです。」 │
│「やっぱり牛さんがいいよ。」 │
│「わたしも、牛さんがいやじゃなくなりました。」 │
│ いままで牛さんがいやだといっていた恭子さんが言いました。みんなは、牛さんを飼いたくてたまらなくなっています│
│。すると先生は言いました。 │
│「みんなは、牛さんを飼って何をしたいの?」 │
│「牛さんのお乳で、アイスクリームを作りたいな。」 │
│「うん。他にも、牛さんのお乳をしぼって、校長先生に飲ませてあげたいと思うよ。」 │
│ などと、多くの意見が出ました。もうみんなは、牛さんを飼うことしか考えていません。 │
│「みんな、牛さんを飼うことでいいですか?」「いいです!」 │
│ こうして、牛さんを飼うことが決まりました。 │
│「わぁい!牛さんが飼えるぞ。」 │
│ 六月三十日、農協の平出さんから電話で連絡がきました。みんなドキドキしています。 │
│「ホルスタインのめすの子牛を貸してあげてもいいですよ。」 │
│「やったぁ!」 │
│ 春組のみんなは教室中とび回って喜びました。 │
│ │
│校長先生、牛さんを飼わせてください │
│ 牛さんを飼うことに決まると、校長先生の許しがないといけないとみんなは考えました。そこで、校長先生にお手紙を│
│書くことにしました。一人一人、習いたての平仮名を使って、一生けん命書きました。自分で書いた文を読み返すという│
│ことを知らないので、まちがいも少なくはありませんでした。 │
│ けれど、牛さんを飼うためだから、みんなは真剣です。 │
│ 六月三十日、野沢校長先生にお願いに行くことにしました。 │
│「本当に飼わしてくれるかなぁ。」 │
│「だめだっていわれたらどうしよう。」 │
│ みんなは、牛さんが飼えるか心配で、ドキドキしていました。 │
│ 校長室へ入り、ずらりと列を作って並びました。 │
│ そして、一人ずつ校長先生の前へ行って、一生けん命書いた作文を読みました。一人一人、牛さんを飼いたい一心で、│
│つっかかりながらも読みました。心の中がはれつしそうです。でも校長先生は、にこにこしてじっと聞いてくれました。│
│そして最後に │
│「おねがいします!」 │
│ 元気よく言いました。校長先生は「牛さんが好きなんだね。」と言ってから │
│「よし、牛さんを飼ってもよろしい!」 │
│ みんなは急にホッとした顔になりました。そして、いままでの不安をふきとばして、うれしさがこみあげてきました。│
│「やったぁ。」 │
│ 喜びの声を上げる春組のみんなでした。 │
│   (後略)│



<7>毅組「たんけん隊」実践
<7>-1長野県伊那市立伊那小学校6年毅組『出発!毅組ふるさとたんけん隊!! 伊那小毅組37名から感動の記録とメッセー
   ジ』(信濃教育会出版部 1996年 P.10-13より抜粋)
│一年生の時の歩み │
│ 平成二年四月、私達は、長野県伊那市立伊那小学校に入学しました。(中略) │
│ │
│あれ、二年生の友達がいないよ │
│(中略) │
│ 五月九日、休み時間が終わって教室に戻ってきた時、どこで遊んできたか話していた。 │
│「ぼくは二階の二年生の所へ行ってたんだ。」 │
│「ええ! ちがうんじゃない。二年生は三階だよ。」 │
│「あれ? 二階じゃなかったっけ!?」 │
│「私は行ったことないから分かんない!」 │
│「じゃ行ってみりゃいいじゃん。」 │
│「そうだ、行ってみよう。確かめようぜ。」 │
│と、出かけて行った。二階へ行くと「あれ、二年生の友達がいないよ。」 │
│「やっぱ三階だ。」と、二年生の教室が三階にあることがわかった。 │
│ それから、二年生は五つのクラスがあり、メモに学級の名前(伊那小学校は学級名に漢字一文字を使っている)を書い│
│たり、二階は「理科室」という教室が四つもあることを調べたりした。このことがきっかけとなって、 │
│「まだ知らない部屋があるよ。」 │
│「何する部屋かなあ。たんけんしてみようよ。」 │
│と、みんな口々に言い出し │
│「みんな、たんけんに行こう!」 │
│「僕達は、毅組だから『毅組たんけん隊』だ!!」 │
│と、クラスみんなで、校舎内のまだ知らない所の探検に出かけることになったのです。 │
│ それから、北校舎・中央校舎・南校舎と校内に三つある校舎の教室たんけんをどんどんしていった。教室の名前や場所│
│を忘れないようにメモしようと、紙と鉛筆を持って。何回もくり返したんけんしているうちに、教室の位置を順番に並べ│
│たようなメモが多くなってきた。しかし │
│「どうもうまく書けないなー。」 │
│「探検メモがバラバラで場所や名前が、わかんなくなっちゃう。」 │
│そんな話をしていると、先生もどうすればいいかなあと考えているみたいだった。 │
│だれかが、 │
│「石けんの箱を使ってさ、本物みたいに校舎を作ってみればいいじゃん。」 │
│と言った。先生は、 │
│「そりゃいい考えだ!! だけど石けん箱だと小さくて作りにくいから、みかんの段ボール箱使ったらどうかなあ。」 │
│と言った。みんなも大喜びで作ろう作ろうと賛成した。先生は、安心した感じで笑っていた。 │
│ それから、校舎内の探検に行ったり、模型を作ったりをくり返していったのです。(後略) │

<7>-2「未知なる世界に想いを寄せて−ぼくらは毅組たんけんたい− 1年」
(公開学習指導研究会 研究紀要『学ぶ力を育てる−ものやことの本質を目を輝かせて追究する子ども−』(平成2年度 
 1991年 P.5-6より抜粋)
│(1)あれ 2年生の友だちがいないよ │
│(中略) │
│ 5月9日、長い休み時間が終わって教室に戻ってきた子どもたちが、どこで遊んできたか話していた。 │
│ − ぼくは2階の2年生の所へ行って遊んできたよ。 │
│ − ええっ、ちがうんじゃない。 │
│ − 2年生は2階じゃなくて、3階じゃあないの? │
│ − 前に行った時は、確か2階だったけどな。 │
│ − 私は行ったことないからわかんない。 │
│ このように、2年生の教室がどこにあるか話題にしていた。「行ってみりゃあいいじゃん。」(洋司)という言葉に │
│「そうだ、行ってみようよ。」「確かめてみよう。」とクラスみんなが賛成し、はりきって出かけて行った。2階へ行く│
│と「あれ、2年生の友だちがいないよ。」「ここじゃないよ。」と言って、3階へ行った。そして「2年生がいるよ。」│
│「やっぱり3階だったね。」と、子どもたちは、2年生の教室が3階にあることを知り、さらに、2年生は5つのクラス│
│であることも知った。また、紙に組の名前を写している子どもたちもいた。一方、子どもたちは2階が何の教室か疑問に│
│思った。そこでもう一度帰りに2階に寄り「理科室」という教室が4つもあることも調べてきた。このことが契機となっ│
│て「まだ知らない部屋があるよ。」「何する部屋かなあ。探検してみようよ。」と、口ぐちに言い出し「みんなで、探検│
│に行こう。」「ぼくたちは毅組だから、毅組探検隊だ。」と、クラスみんなで校舎内のまだ知らないところの探検に出か│
│けることになった。 │
│ 5月中旬ころになると、ほとんどの子どもたちが、探検してわかった教室の名前や場所を忘れないようにメモしようと│
│、紙と鉛筆を持って北校舎の探検に出かけるようになった。何回か繰り返し探検しているうちに、教室の位置を順番に並│
│べたようなメモが多くなってきた。しかし「どうもうまくかけないよ。」「探検メモだけじゃ場所がわからないなあ。」│
│と話している子どもたちもいた。教師がそのことをクラスの子どもたちに話すと「石けんの箱を使ってさ、本物みたいに│
│校舎を作ってみればいいじゃん。」という声があがった。教師も、具体物を使って模型を作れば教室の位置関係がとらえ│
│られていくのではないかと考えた。そこで「そうだね。でも、石けんの箱は小さくて作りにくいから段ボールを使ってみ│
│たらどうかな。」と言うと、教室の場所などがメモにうまくかけないでいる子どもたちも「模型を作ればわかるね。」と│
│賛成し、模型を作ることになった。(後略) │



<8>訓組「鹿牧場」実践
「鹿さんと友だちに−訓組鹿牧場−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−材とのかかわりを深めるなかで、内なる求めを高めていく子ども−』平成
三年度 1992年 P.5-8より抜粋)
│(1)だっこできる動物がいいなあ │
│ 入学してしばらくたつと子どもたちは、「先生、これ教室で飼ってもいい?」とカエル、ザリガニ、カメなどを持っ│
│てきた。なかでもカエルを持ってくる子が多かった。(中略) │
│ 教師は入学して間もない子どもたちがいったいどんな物事に興味や関心をもつのだろうかと思いながら活動を見守っ│
│てきた。 │
│ 子どもたちは生き物に興味をもち、生き物と遊びたいという願いをもっていると見取った。(中略)生き物への思い│
│やりをもって飼いながら、一緒に遊ぶことを楽しめる子どもたちになって欲しいと教師は願った。 │
│ (中略) │
│ 子どもたちは毎日池でカエルと遊んだが、日がたつにつれて池の中のカエルは逃げ出していなくなってしまった。そ│
│こで、中庭で捜したり田んぼへカエルを取りに行ったりした。また、カエルが逃げ出さないような工夫もしたが、この│
│ような活動を何度も繰り返しているうちに子どもたちはカエルと遊ばなくなった。やがて、池の住人はカメだけになっ│
│てしまった。 │
│ カエルと遊ぶことに満足してきた子どもたちは、カエルは他の所に住みたいのだろうと納得し、カエル飼育への執着│
│から離れていったように思われた。そして、カエルの飼育を通して、生き物をみんなで飼う楽しさや生き物と触れ合う│
│楽しさを味わったことなどに支えられて、更に違った生き物を飼って触れ合いたいという願いを持ち始めてきたようで│
│あった。 │
│ − だっこできる動物を飼ってみたいなあ。 │
│ − ウサギなら保育園のとき飼ってて、一杯だっこして遊んだよ。 │
│ − チャボを家で飼ってるよ。かわいいよ。 │
│ − 僕の家のモルモットだってかわいいに。 │
│ 知子 鹿公園へ行ったら鹿がいてね、小さい鹿をだっこできたんだよ。そしたらね、手をなめた。 │
│ − ええっいいなあ。鹿公園てどこにあるの? │
│というように飼いたい動物をつぎつぎに挙げた。しかし、これらを全部飼うことは大変だという話し合いもあって、み│
│んなが一番飼ってみたい動物を飼うことになった。子どもたちは話し合っているうちに、怖くなくてだっこできる動物│
│を飼いたい気持ちに一致したが、今までの動物に接した経験が違っていたので話はいっこうにまとまらなかった。「じ│
│ゃあ、その動物がいる所へみんなで行って見て来ればいいと思います。」という彩子の提案にみんなが賛成した。そこ│
│で保育園、ペットショップ、鹿公園へみんなで見に行きウサギ、チャボ、モルモット、鹿に実際触れてから飼いたい動│
│物を決めることにした。子どもたちは、だっこできて触ると温かい動物を飼って、それと遊んでみたい願いをもってい│
│ると教師は見取った。ここで実際にみんなで動物のいる所へ行ってみれば、子どもたちは飼ってみたい動物を決めるよ│
│りどころがはっきりしてくるだろうと考えた。 │
│ 教師は低学年の子どもとウサギやモルモット、チャボを飼育した経験はあったが、鹿となると全く見当がつかなかっ│
│た。そこで鹿公園の飼育係の方や、飯田動物園、多摩動物園などに手紙を出して1年生でも鹿を飼育することが可能か│
│どうか調べることにした。 │
│ │
│(2)どうしても鹿を飼いたいです │
│ │
│ 6月8日、子どもたちは保育園、ペットショップへ出かけて、ウサギ、チャボ、モルモットなどを抱いたりえさをや│
│ったりした。それぞれ、「かわいいなあ。」「いいなあ。」「飼ったことあるから大丈夫。」と話していた。次に鹿公│
│園へ行くことになった。(中略)翌日、時計を回しながら時刻表をもとに何時のバスで行ったらよいかということや、│
│バスの乗り方など話し合い、鹿公園へ行く計画を立てた。子どもたちの鹿公園へ行こうとする強い願いを教師は感じ │
│た。 │
│ 長谷村鹿公園は伊那市からバスで約40分、そこから2km歩いた所にある。2haの土地を金網で囲いその中に現在75頭│
│の鹿が放し飼いにされている。 │
│ 6月27日早朝、伊那北駅に張り切って集まった子どもたちは、バス代の硬貨をしっかりと握りしめ長谷村へ向かっ │
│た。(中略)バスから降りてのどかな山村風景の中を、鹿公園へ向かって歩き出した。しばらく行くと大きな雄鹿を飼│
│っている農家があった。「わあっ、この家、鹿飼ってるよ。」と驚いた。子どもたちは、鹿のいる村だなあとますます│
│鹿公園への興味がふくらんだ。やがて遠くに鹿公園が見えてきた。「先生、鹿が見える!」とたちまち走り出した。鹿│
│公園に着くと、散らばっていた鹿も集まってきた。鹿を前に役場の方や飼育係の方のお話を聞くと子どもたちは一目散│
│に鹿へ駆け寄った。「鹿さんの口の方が強いね。草の綱引きで負けちゃった。」とそばに生えている草をちぎっては与│
│えていた。(中略)子どもたちは「バンビおいで。」と子鹿に盛んに草をやって触った。「かわいいよ。ちょっとぼく│
│の手なめたよ。」「触れたよ。おっかなくないよ。」「鼻に触ったら、温かかった。」と鹿のかわいらしさに感動して│
│いた。帰りのバスのなかでも「鹿さんを飼ってみたいね。」「大きいのより、バンビがかわいいね。」と鹿の話で持ち│
│きりだった。 │
│ 翌日、飼いたい動物を決める話し合いをした。 │
│ − バンビを飼いたいなあ。 │
│ − 鹿さんが一番かわいいから、鹿さんを飼いたいです。 │
│ − 鹿さんは怖くなかったから、飼えそうだと思います。 │
│という意見が沢山出され鹿を飼うことにみんなの気持ちが一致した。他の動物を挙げてこない程、子どもの心の中に鹿│
│と出会ったときの感動が強かったのだろう。 │
│ そこで、飯田動物園からいただいた鹿の飼い方の手紙を読み深め、これから自分たちでやっていくことを話し合っ │
│た。「掃除とか、えさとか忘れないようにしないとね。」「鹿の小屋も作ろうよ。」「網もいるよ。」と見通しを話し│
│ていた。こうして「鹿はとってもかわいいし飼ったこともないけど、みんなで力を合わせて頑張って飼いたいです。」│
│と子どもたちは、初めて大きな動物を飼うんだという自覚を持ち始めた。 │
│ 鹿の飼育方法は、はっきりと確立してはいない。鹿は他の家畜や愛がん動物と違って神経質な面が強いため安易な気│
│持ちで飼育することはできない。だが、えさが身近にあり自分たちで集めることができる、病気になりにくい、それ │
│に、子どもたちの鹿への印象が良いことは大きな利点であろう。鹿と遊びたいという願いに支えられて鹿に精一杯接す│
│るなかで、自分たちで考えたことを自分たちだけで実行していくことのできる子どもたちになって欲しいと教師は願っ│
│た。(中略)動物園からは1年生でも飼育可能であるとの返事をいただいたが、どのくらいなれるかということや実際│
│の飼い方がはっきり分からない点は不安であったが、子どもとともに学んでいこうと決心した。 │
│ │
│(3)元気に育って欲しいから虹子がいいな) │
│ │
│ 7月10日、長谷村役場へ鹿を飼わせて下さいという手紙を出した。数日後、長谷村役場から電話がきたことを伝える│
│と、教室の中は静まり返り、子どもたちは真剣なまなざしで教師を見つめた。「2頭の雌の子鹿を9月中ごろから3月│
│まで貸していただけるそうです。」という教師の話を聞くと子どもたちは「やったあ、ばんざい!ようし、頑張る │
│ぞ。」と跳び上がって喜んでいた。(中略) │
│ 7月22日、子どもたちは鹿が飼えるんだという喜びに胸をふくらませてともがき広場に出掛け、飯田動物園からの手│
│紙にあった鹿を飼う施設の図を見ながら、どんな訓組鹿牧場が作れそうか考えた。鹿小屋は、今は使われていないヤギ│
│小屋を借りて改装することにした。「えさを置く小屋もいるよ。」「ここのタイヤをどかしてさあ、運動場にすればい│
│いんじゃない。」と、えさを置く小屋を作るグループと運動場を作るグループに分かれて作り始めた。 │
│ これは、子どもたちにとって経験したことのない大きな活動である。しかし、鹿を飼うことへの楽しい期待に支えら│
│れて、みんなで力を合わせて困難を乗り越えていってくれるだろうと教師は考えた。(後略) │



<9>直組「ひつじ飼育」実践
「ひいちゃんは みんなの ともだち−直組のひつじさん−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−その子らしさを発揮して生き生きと追究し、自らを高めていく子ども−』
平成9年度 1997年 P.10-21より抜粋)
│(1)剛ちゃんのところに行こうよ │
│ 「ねえ、直組の前にヤギさんがいるよ。」入学してすぐに、教室の廊下の前の秋庭にヤギの剛ちゃんを見つけた子ども│
│たちは、歓声をあげた。そこで、学校探検をしながら剛ちゃんの所まで行くことにした。子どもたちは、「おしりの方は│
│ごつごつしているよ。」「先の細い草をよく食べるね。」と言いながら、剛ちゃんの背中をなでたり草をあげたりしてい│
│た。 │
│ (中略)雨が降った5月13日、亜矢が「剛ちゃんが子どもになった。」と叫んだのをきっかけに、クラス全員が廊下に│
│飛び出した。剛ちゃんは、雨にぬれないように小屋の中に入っていたので小さく見え「剛ちゃん、やせちゃったみた │
│い。」(香織)「剛ちゃん魔法にかけられたんだよ。」(恵美)「ご飯食べてないんじゃない。」(義巳)と心配する子│
│もいた。剛ちゃんの行動の様子を学級のみんなに伝える子どもたちがだんだん増えてきた。 │
│ 5月29日、信州大学農学部の農場に遠足に行った。毎朝剛ちゃんとかかわり、動物に興味を示し始めていた子どもたち│
│は、ヒツジを見るとすぐにさくの中に手を入れ「セーターみたい。」(香織)「温かいよ。」(千穂)と言いながら体を│
│乗り出してヒツジに触った。(中略)そんななか「先生、ここ臭い。ここでご飯食べるんじゃないよね。早く向こうへ行│
│こうよ。」(良夫)と言って、動物に近づこうとしない子もいた。 │
│ 7月1日、いつものように美穂が教師を呼びに来たので、剛ちゃんの所へ一緒に行くと、後から剛組の子どもたちが来│
│た。いつも剛ちゃんの所から離れようとしない子どもたちの姿を見ていた教師は、剛組の子に「直組さんは剛ちゃんのこ│
│とが好きだから一緒に遊ばせてくれない。」と聞いてみると、朝の会の最中に「剛ちゃんを1日貸してあげるよ。」と返│
│事をしに来てくれた。いつ剛ちゃんを呼ぶかみんなで話し合い、時間がいっぱいとれる7月4日に呼ぶことに決めた。 │
│ 7月4日、いつもより少し早めに登校した子どもたちは、すぐに剛ちゃんの所へ行った。直子らは、雄大の持って来た│
│キャベツをのせ、その頭を剛ちゃんに差し出した。それを剛ちゃんが全部食べてしまうと、我先にとクローバーを摘み食│
│べさせた。(中略)剛組の子に「今は産むために発情して、気がたっているから気をつけて。」と教えてもらった。下校│
│の時間がきて、剛組の子どもたちに「また貸してね。」(伸幸)「今日はありがとう。」(由貴)と話して返した。(中│
│略)「7月4日だけの約束だったんだよ。」と話すと「もう一回頼めばいいじゃん。」と言った。「剛ちゃん、ずっと直│
│組にいればいいな。」「ずっといてくれる生き物が欲しいな。」と亜矢と絹代がつぶやいた。 │
│ 子どもたちは「私、剛ちゃんの赤ちゃん欲しいな。」(美穂)「剛ちゃん、ずっと直組にいればいいな。」(亜矢)│
│「ずっといてくれる生き物が欲しいな。」(絹代)などと話している。これは、剛ちゃんと接するなかでえさをあげる│
│と食べてくれたり、頭や背中をなでさせてくれたり、良夫が「僕が呼んだら、こっちを見たよ。ほら、また見た。」と│
│言ったりしているように、接すれば接するほど自分たちの働きかけに答えてくれる剛ちゃんのよさを感じ取り、愛着が│
│芽生えたためだと思われる。ヤギのような大きな動物は、接すれば接するほどなれてくれる。また、飼っていくうえ │
│で、友だち同士の協力は欠かせない。さらに、毎日のえさくれ、病気への対応、交尾・出産などを通していのちの大切│
│さにも触れることができる。教師は、一部の子どもたちから芽生えた「ずっといてくれる生き物が欲しい。」という願│
│いが、今後どのように学級の中に広がっていくか見守りながら、動物を飼育するという方向で支援していこうと考え │
│た。 │
│ │
│(2)私 ヒツジは追いかけて来るから こわいの │
│ 7月23日、教師が冬庭に礼組のヒツジが来ているのを話すと、子どもたちは全員教室を飛び出して行き、廊下の窓から│
│ヒツジを見た。由貴が「触ってきてもいい。」と聞いてきたが、給食の準備中だったので触ることができなかった。帰り│
│のあいさつをした後、由貴、清子、伸幸、美穂、友之らがヒツジの所へ行きたいと言ってきたが、もうその時にはヒツジ│
│はいなかった。清子が「私、触りたかったなあ。」と残念そうにつぶやいた。そして「私、直組で何か生き物飼いたい │
│な。」(由貴)「僕はヒツジがいいな。」(伸幸)「直組で飼うんだから、直ちゃんだね。」(友之)とつぶやいた。 │
│ 夏休み明け、由貴が冬庭を見ながら「またヒツジに会いたいな。」とつぶやいた。すると「ねえ、前ここにいたヒツ │
│ジ、どこに行っちゃったの。」(義巳)「もうヒツジは伊那小学校には来ないの。」(由貴)と次々に教師に話しかけて│
│きた。「もしかしたら来るかもしれないけど、それはいつになるか分からないよ。」と話すと「いつかなあ。」(由貴)│
│「今度はヒツジと遊ばせてね。」(義巳)と話していた。 │
│ 8月27日、朝の会で由貴が「私、ヒツジに会いたいんだけどな。」と発表すると、伸幸、良夫、義巳も「僕も会いた │
│い。」と口々に言った。哲也が「グリーンファーム(庭に動物がたくさんいる産地直送市場)にいるよ。」と言うと「私│
│も行ったことあるけど、ヒツジいたよ。顔の黒いの。」(恵美)「アヒルもいるよ。」(雄大)「ウサギもいるよ。パン│
│をあげられるんだよ。僕あげたいな。」(友之)「僕ポニーに乗せてもらいたいな。」(信雄)とグリーンファームにい│
│る動物があげられた。教師が「みんなは、グリーンファームに行きたいの。」と聞くと、ほとんどの子どもたちが「行き│
│たい。」と返事をした。しかし、「いきなり行っちゃ、だめだよ。迷惑だよ。」という茂樹の意見をきっかけに、グリー│
│ンファームに電話をかけて聞いてみることにした。ヒツジに会いたいと強く願っている子がたくさんいたので、教師は子│
│どもたちがどのようにヒツジとかかわるのか見てみたいと考えた。翌日、全員で電話のかけ方を学習し、自分の名前を伝│
│えてから「30日に行ってもいいですか。」と聞くことにし、電話をかけた。ヒツジを飼いたいと思っている良夫は「ヒツ│
│ジもらえませんか。」「いくらですか。」ということも聞いたが「『まずは来てみてから考えましょう』だって。」とみ│
│んなに話した。 │
│ 8月30日、グリーンファームへ行くと、子どもたちは我先にとヒツジの所へ走って行き、ヒツジに触って「ヒツジちゃ│
│ん、まくらみたい。」(恵美)「柔らかい。」(香織)「ふわふわしている。」(真悟)などと口々に話し始めた。ヒツ│
│ジに乗せてもらった裕也は「足がふわふわして気持ち良かった。」と言った。 │
│ (中略)社長さんが「ヒツジはおとなしいんだよ。」とみんなに話しているのを聞いた美穂は「私、ヒツジ嫌いなの。│
│ヒツジは追いかけてくるから怖いの。」とつぶやき、一人でイノシシの赤ちゃんの所に離れて行った。教師は、今までヤ│
│ギの剛ちゃんに毎日欠かさず会いに行ったり、信大ではヒツジの所に真っ先に走り寄って触ったりしていた美穂が、どう│
│してヒツジにかかわろうとしないのか不思議に思った。(中略)教師は、周りの友だちの様子に目が向かず自分のやりた│
│いことをやりたいようにしてしまったり、気に入らないことは教師や友だちの応援があってもやろうとしなかったりする│
│面が気になっていた。ヒツジとのかかわりのなかで、美穂がヒツジにどのように思いを寄せていくのか、友だちとどのよ│
│うにかかわっていくのか見ていこうと考えた。 │
│ グリーンファームでは、帰りに「このヒツジさん、僕たちに売ってくれませんか。」(良夫)と社長さんに頼む子もい│
│たが、売り物ではないので売れないということ、JAへ行けば手掛かりがつかめるということを教えてもらい、学校に戻│
│ってきた。 │
│ 9月1日、朝の会でグリーンファームに行って、見たりやったりしたことを発表し会った。 │
│ (中略) │
│ 義巳 僕は、やっぱりヒツジがいいな。ヒツジ飼いたい。 │
│  ・それに対して子どもたちは、ゾウ、ライオン、キリン、オオカミなどを飼いたいと口々に言う。 │
│ 義巳 ゾウやライオンなんて、日本にいないよ。それに猛獣なんて嫌だよ。 │
│ 恵美 それならハムスターはどう。 │
│ 茂樹 やだよ、飼うんだったらもっと大きいのがいいよ。 │
│ 亜矢 じゃあ、ウサギはどう。天使幼稚園で飼っていたよ。 │
│ 伸幸 ウサギは家でも飼えるじゃん。 │
│ 和俊 ウサギは一人しかだっこできないよ。いつまでたっても順番が回ってこないから、嫌だ。 │
│ 義巳 ヒツジだったら、みんなで触れるよ。 │
│ 伸幸 毛を取ってマフラーだって作ることができるよ。 │
│ 真悟 ヒツジのことなら、JAに聞けば分かるってグリーンファームのおじさん言ってたよ。 │
│  ・「飼いたい。」「飼いたい。」「ヒツジがいい。」「ウサギがいい。」の連呼。 │
│  (中略) │
│この話し合いで、直組で飼っていきたい動物はヒツジ(30人)とウサギ(7人)に分かれた。「でも、どこにいるの。」│
│(英博)の意見に牧場、JA、幼稚園などの声があがり、それぞれについてだれか譲ってくれる人はいないかグループご│
│とに電話帳で調べていくことになった。(中略) │
│ 9月29日、秋の遠足で宮本さんの牧場に行った。牛舎の前に並んだとき「めええ。」と鳴く声が聞こえてきた。「あ │
│っ、ヒツジの声がする。」と伸幸が叫ぶと「どこにいるの。」ときょろきょろ探し始めた。ヒツジを見つけた子どもたち│
│は、宮本さんから草をもらいヒツジに食べさせた。和俊は「やったあ。僕のあげたの食べてくれた。」と喜んでいた。そ│
│して、「僕、このヒツジ欲しいよ。」(良夫)「私も欲しいな。」と口々に話していた。(中略)牛舎を去るときに、宮│
│本さんの周りに集まった子どもたちは「このヒツジもらえませんか。」とお願いした。すると宮本さんは「どうしようか│
│な。本当にみんなでも飼えるかな。」と答えた。子どもたちは「飼える。」と大声で返事をした。教師が「みんなは、ヒ│
│ツジさんを飼いたいの。」と聞くと、ほとんどの子は手を挙げた。手を挙げてない美穂を見て友だちが「ええ、美穂ちゃ│
│んもヒツジさんにくさをあげてたじゃん。」と言うと、美穂は口をとがらせて黙っていた。 │
│ 10月2日、ヒツジやウサギのいそうな場所調べを続けてきた子どもたちは、亜矢の「ヒツジさんのいそうな場所がたく│
│さん見つかったから、電話かけようよ。」という意見をきっかけに、グループごとに電話をしてみることになった。ヒツ││ジグループは、飼いたい人と借り たい人に意見が分かれ「自分たちでも飼えるかどうか試しに借りてみて、飼えそうだっ│
│たら飼うのはどう。」(義巳)という意見に賛成し、電話をかけた。しかし「だめだ。全部牛ばかりだ。」と言って戻っ│
│てきた。「宮本さんちにかけてみようよ。宮本さんなら貸してくれるかもしれないよ。」と言い出し、電話をかけた。義│
│巳が「10月13日から16日までの四日間貸してもらえるって。」と報告すると、子どもたちは「やったあ。」と歓声をあげ│
│た。美穂もにこにこしながら聞いていた。ウサギグループは、宮本さんのヒツジを見たとき「ヒツジを飼いたい。」と手│
│を挙げたが、「ヒツジもいいけど、やっぱりウサギがいいな。」と話し、ウサギが借りられそうな天使幼稚園に電話をか│
│けた。そして、ヒツジを借りた後ウサギも借りることになった。 │
│ │
│ 遠足のとき、教師が「ヒツジさん飼いたいの。」と聞くと、ほとんどの子から「飼いたい。」という声が返ってき │
│た。これは、礼組にヒツジが来たときヒツジに触りたかったのに、それができなかったこと、グリーンファ−ムでヒツ│
│ジに触ったりヒツジに乗せてもらったりして、毛のふわふわした感触を実際に感じたこと、宮本さんの牧場でヒツジに│
│草をあげてヒツジが食べてくれたこと等、実際にヒツジと触れ合うことでヒツジへの愛着が芽生え、次第にヒツジが自│
│分たちのそばにおいておきたい存在となったためだと思われる。 │
│ (中略) │
│ │
│(3)ひいちゃんの心が入ってきちゃったんだよ │
│ 10月13日、「早く来ればヒツジとたくさん遊べると思って早く来ちゃった。」(裕輔)「早くヒツジ来ないかな。」 │
│(哲也)と子どもたちは7時30分頃に登校してきた。いつもより30分早く登校してきた美穂は「ヒツジとたくさん遊びた│
│いんだもん。」と言ってヒツジと出会うのを楽しみに待っていた。8時30分、教師が暴れるヒツジを春庭まで連れてき │
│た。 │
│(中略) │
│ 子どもたちは「メエちゃんは礼組のヒツジの名前だから、ひいちゃんにしよう。」(哲也)と直組に来たヒツジに名前│
│をつけた。帰りのときには、裕也ら数人の子どもたちが教室のベランダにわらを敷いたりえさを置いたりして夜のねぐら│
│を作った。(中略) │
│ 10月14日、朝の会で「僕たちひいちゃんの綱持ちたいのに、恵美ちゃんと直子ちゃんばかり持っている。」(義巳)の│
│声があがり、綱を持つ人について話し合った。そして、班ごとの当番で交替で綱を持つことに決まった。 │
│(中略) │
│ (10月15日の−引用者註)帰りの会で、教師が「明日、ひいちゃん返す日だけど何をするの。」と尋ねると、子どもた│
│ちからは、「もっと遠くへお散歩に行きたい。」(恵美)「畑がいいよ。」(英博)という意見が出た。茂樹が突然「も│
│らいたい。」と言うと、全員が「もらいたい。」と手を挙げた。そして、「別れたくないな。」(裕輔)「だってかわい│
│いもん。」(恵美)「鳴き声が歌みたいでかわいい。」(美穂)と口々に言い出した。「このまま飼っていればなれてく│
│るよ。」(友之)の言葉に続き、「ごちそうあげれば暴れないよ。」(真悟)「おしりをそうっと押せばいいよ。」(和│
│俊)「背中なぜなぜすると逃げないよ。」(美穂)と言った。教師が「じゃあ最後の一日は草をいっぱいあげて、お散歩│
│に連れて行ってあげて、なでなでしたあげるんだね。」と言うと、「最後、最後って言わないでよ。明日お願いすればも│
│れえるんだから。」(茂樹)と言った。 │
│ 10月16日、子どもたちは朝からひいちゃんを散歩に連れて行き、たくさんえさを食べさせ、春庭に戻って来た。そし │
│て、子どもたちはひいちゃんの綱をくいに縛ると、ひいちゃんに草を食べさせたり、砂場で落とし穴作りを始めたりし │
│た。教師が、砂場で遊んでいる子どもたちに「あと少しで宮本さんが来るよ。」と話すと、「お願いするからいいの。」│
│と答え、落とし穴作りに夢中になっていた。(中略)宮本さんが来ると、子どもたちはゆっくりと立ち上がり集まって来│
│た。「ヒツジもらってもいい。」(茂樹)と聞くと、宮本さんは「みんなはとってもかわいがってくれたんだね。ありが│
│とうね。でも約束は四日間だけだったから連れて帰るよ。またよく話し合ってみて、本当にひいちゃんが飼いたいのなら│
│連絡ちょうだいね。」と答えた。祐子、亜矢が泣き出すと、ひとり、またひとりと泣き出した。美穂は宮本さんが来ても│
│初めのうちは直子と砂場で落とし穴を作っていて、みんなの所に寄っては来なかった。 │
│(中略) │
│ 帰りの会で、茂樹が「宮本さんにもう1回電話しようよ。」と提案したが、子どもたちはがっかりした様子で、答えは│
│返ってこなかった。翌日、朝の会で「早く電話かけようよ。」と茂樹が言うと「電話より手紙の方が心が伝わるよ」(亜│
│矢)という意見が出て手紙でお願いすることにした。(中略) │
│ │
│(4)わたしは どうしてもほしいです │
│ 「ひいちゃんと一緒にいたときのことを歌にしてみない。」と教師が提案すると子どもたちからは「作りたい。」の声│
│があがった。(中略)そこで、みんなで歌詞を考えたり、それに合った曲をつけたりして、歌を作ろうということになっ│
│た。そして、一人ずつ歌詞を書いた。(中略) │
│ 10月21日、宮本さんから手紙が届いた。教師が「三つの大切なことがあります。」と読むと、美穂は良夫と「うんちじ│
│ゃない。」と言い合った。「一つ目はご飯をあげることです。二つ目はうんちを片付けることです。三つ目は声をかけて│
│あげることです。」と読む度に「当たった。」と言って手をたたいた。「直組のみなさんは三つの大切なことをひいちゃ│
│んのためにやってあげることができますか。できるかどうかまた貸してあげるから試してごらん。」と読むと、子どもた│
│ちは「じゃあ、三つの大切なことができればひいちゃんをもらえるんだよね。」「何回も読まなきゃだめだよ。」と言い│
│出した。そこで、10月22日から子どもたちは、三つの大切なことのそれぞれについて読み取り学習を始めた。(中略)読│
│み取り学習が終わると「私たちでもできそうだから、またひいちゃんを貸してもらって試してみようよ。」(亜矢)とい│
│う意見をきっかけに、一人ひとり宮本さんに手紙を書いて送った。 │
│ 11月4日、「6日から15日まで貸してあげるから、三つの大切なことができるかどうか、みんなで試してごらん。」と│
│いう返事が宮本さんから届いた。美穂は手をたたいて喜んだ。翌日、真悟が「宮本さんのお手紙に、毎日『朝と帰りに1.│
│2kgずつご飯をあげます』って書いてあったでしょ。1.2kgってどれ位か分からないと明日ひいちゃんが来たときにご飯を│
│あげられないよ。」と言い出した。(中略)教師がはかりの使い方を説明した後、草ではどのくらいになるのかグループ│
│で実際に量ることにした。(中略)その後「早く寝床をきれいにしようよ。うんちを取ろうよ。」と裕輔がみんなに話 │
│し、ひいちゃんのねぐら作りを行った。 │
│ 11月6日、ひいちゃんが来る。久しぶりにあったひいちゃんの周りに集まり「『今日の具合はどう』って聞いたら頭を│
│こくんってした。」(香織)「今日のうんちはころころだね。」(真悟)と話しながらひいちゃんをなでていた。(中 │
│略)朝の会では、休みの日の当番をどうするかということが話題になった。直子が「先生が来れば。」と言うと、「僕た│
│ちが借りているのにそれはおかしい。」(義巳)「手紙に試してごらんってあったよ。先生に試してごらんって言ってる│
│んじゃないよ。」(真悟)といった意見が出てきた。結局来られる人が来ることになった。 │
│(中略) │
│ │
│(5)もうクラスの仲間だもん │
│ 11月15日、ひいちゃんを返す日が訪れた。子どもたちは「ひいちゃんを下さいってお願いしよう。」と話す。「だっ │
│て、ひいちゃん仲間だもん。」(伸幸)「そうそう、みんなの人気者だもん。」(裕輔)「それに、悲しいときにひいち│
│ゃんを見るとうれしくなるよ。」(隆一)と次々に発表した。(中略)宮本さんが来ると、良夫が「宮本さん、ヒツジく│
│れる。」と聞いた。宮本さんは「みんな三つの大切なことができたかな。そのことおばちゃんは家に帰っておじいちゃん│
│たちに話してみるからね。いいよって言ったらひいちゃんをあげるよ。でもね、このヒツジはただじゃないんだよ。お金│
│が必要だけれど、それでもひいちゃんが欲しいかな。話し合ってみてね。」と話してくれた。ひいちゃんと別れてから、│
│子どもたちは「いくら高くてもひいちゃん欲しい。」(恵美)「もうクラスの仲間だもん。」(美穂)「段ボールをリサ│
│イクルすればいい。」(英博)と席を立ち上がって叫んだ。11月19日、宮本さんから『ひいちゃんを売ってあげてもいい│
│から飼うことになったら返事を下さい』という手紙が届いた。子どもたちは、席を立って跳びはねたり、隣の友だちと手│
│を取り合ったりして喜んだ。両手をいっぱいに広げて「私、これ位ひいちゃんを飼う自信があるよ。」(亜矢)「休みの│
│日だって、ひいちゃんにえさをあげに来る。」(伸幸)「ぼく、うちからうんとうんと野菜持ってくるよ。」(友之) │
│「冬のために、もう草をとって家に干してあるんだよ。」(英博)「ああ、早くひいちゃん来ないかな。」(真悟)と口│
│々に話した。そして「早く返事書こうよ。」(亜矢)「今すぐ紙ちょうだい。」(由貴)と言い一気に返事を書き上げ、│
│宮本さんに送った。その後、宮本さんから「ひいちゃんを売ってあげるよ。」という返事が届き、直組でひいちゃんを飼│
│っていくことになった。 │
│ (後略) │



<10>夏組「ポニー・ヤギ飼育」実践
「ポニーさんも ヤギさんも みんな友だち−二種類の動物と共に−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−学びの道すじを生み出しながら追究する子ども−』平成10年度 1999年
 P.10-13より抜粋)

(1) ともがき広場に はやく行こうよ

 4月、学校探検でともがき広場に行った。ともがき広場では「先生、草あげたら食べてくれたよ。」「羊さん触ったら毛がふかふかして気持ちよかったよ。」 等とヤギや羊と遊んだり「先生、見て見て。こんなに高くまで登れた。」と言って木登りをしたり(中略)思い思いに楽しく遊んだ。その後も毎日のようにとも がき広場に行くようになった。
 5月の中ごろには、ともがき広場に着くと、子どもたちは、動物の所に走って行くようになっていた。「順子、少し大きくなってきたんじゃない。」(侑里) 「順子が近づいてきて鼻をブヒブヒさせた。」(幸子)と子ブタの順子とかかわる子。「先生、私お兄ちゃんと一緒にめえちゃん当番に来ているから、小屋の掃 除の仕方わかるんだよ。」(恵理)と羊の糞をほうきで掃き始める子。「先生、ヤギさん私の採ってきた草をいつも食べてくれるよ。」(愛美)等と報告に来る 子。大切そうに草をそろえて採り、動物にあげようとする姿。何とか触ろうとして、えさでおびき寄せようとしている姿など、動物と遊んでいる姿が多くなって きた。そんな子どもたちの中で志帆は少し離れたところから動物を見ていることが多かった。(中略)教師は、このような志帆がこれからどのように友とのかか わり、そして動物とのかかわりを深めていくのか見守っていきたいと考えていた。
 5月19日、いつものようにともがき広場で遊んでいると「先生、馬がいる。」と、治雄が叫びながら走って来た。みんな「ええ。」と言いながら治雄につい て行った。馬小屋の柵によじ登り、触ろうとしている子が数人いた。「先生、中に入ってもいいかなあ。」との問いに、「愛組(引用者註・特殊学級)さんがい ないから分からないなあ。」と答えたが「先生、いつのまにか入っちゃった。」(俊也)「触りたい、触りたい。」「乗ってみても大丈夫かなあ。」「触ったら 固かったよ。」「ポニ子ポニ子。」等と大騒ぎになっていた。
 5月20日「先生、ともがき広場に早く行こうよ。」と子どもたちは朝から催促し、ともがき広場に着くとすぐに「ポニー。」と言って一目散に走って行っ た。「ポニーって珍しいよね。」(真美)「ウヒヒーンって二回ないたよ。」 (悠司)「小屋の裏の方から入ったらよく見れるよ。」(美里)等と、ポニーの周りには人垣ができていた。一方で「先生、ヤギさん赤ちゃんが産まれるんだっ て。また見に来よう。」(雪乃)と話してくる子や、羊に草をあげている子、頭をなでている子等もいた。志帆はポニーに興味があるようで、近くまで寄って 行った。(中略)
 5月21日、剛組(引用者註・3年)のヤギのお産が近いようで、剛組のみんながそれを見守っていた。「先生、何か苦しそうになっているよ。」(幸子) 「おしりの所にこのくらいの小さな穴があったよ。」(匠太)と大変心配そうに話してきた。その後、教室に戻っていると「先生、ヤギの赤ちゃん産まれたん だって。」と言って哲治が走ってきた。全員走ってともがき広場に向かったが、もうそこには人だかりができていた。「先生、触っちゃった。」「とてもかわい かったよ。」「雄と雌なんだって。」等と興奮して教師に話してきた。給食後の昼休みの時間にも「先生、もう一回ヤギの赤ちゃん見てくる。」と言って、とも がき広場に行く子や「ヤギの赤ちゃん本当にかわいいよね。私ヤギさん飼いたくなったよ。」(雪乃)等と教師に話してくる子もいた。
 5月28日、朝の会で長春がグリンファーム(庭に動物がたくさんいる産地直送市場)に行ってきたことを話した。すると「僕も行ったことがある。」「ヤギ さんのお乳を飲ませてもらったよ。」「ひよこもたくさんいてかわいかったよ。」「ポニーもいるよ。」等と次々に声があがり、夏組みんなで行こうということ になった。教師も、子どもたちがいろんな動物と触れ合うことによって、動物に対するかかわりを広げていって欲しいと願った。
 6月9日、グリンファームに到着すると、みんなパッとそれぞれの動物の所に散って行った。「先生、牛がいた。牛乳とれるよ。」(敏彦)「ヤギ、このえさ いっぱい食べるよ。」(長春)「このひよこ、僕を親と間違えているよ。」(悠司)そして一通りかかわった後、道路の反対側のヤギ牧場にみんなで移動するこ とにした。「先生ヤギさんいっぱいいるねえ。」「高い所に登っているよ。」等と話していたが、そこで偶然、ポニーのつめを切っている場面に出会った。つめ 切りの様子をじっと見守っていると、そのつめを切っていた人に「馬に乗せてあげようか。」と言われ、みんな「乗りたい、乗りたい。」と言って大騒ぎになっ た。一列に並び、一人ずつ乗せてもらった。「とっても気持ち良かった。」「怖かったけど楽しかった。」「高かった。」「先生、この馬夏組のだったらいいの にね。」「そうだ、春の遠足で行ったところに馬がいたから、あそこからもらえばいいんだ。」「先生、どうしても馬飼いたい。」と次々に話しに来た。その 後、小屋に帰るポニーをずっと追いかけて行く姿があった。
 グリーンファーム見学以降も、毎日のようにともがき広場に行き、動物たちと触れ合った。柵から脱走した剛組の子ヤギをなんとか柵の中に戻そうと、みんな で手をつないで壁をつくり、協力して追い込もうとしたり、直組の子羊が生まれたことを我がことのように喜んだりしていた。また、愛組のポニーの愛ちゃんを 借りて、世話を一日させてもらった。
 4月から、毎日のようにともがき広場に行き、動物との触れ合いの回数を増やすうちに、子どもたちは、もっと動物と一緒にいたいという気持ちを持ち始め た。グリーンファームで実際にポニーに乗せてもらい、子どもたちは一段と一緒にいたいという気持ちが高まったと思われる。その表れが「どうしても馬飼いた い。」という言葉だろう。教師は動物を飼うことで、友だちと協力したり、えさや小屋作りの問題等、様々な困難を乗り越えたり、動物のぬくもりを身近に感じ たりすることが出来るであろうと、動物飼育の魅力を感じていた。教師は、動物と一緒にいたいという子どもたちの願いを大切にしていこうと考えた。

(2) 三つとも一回借りてきてから決めたらいいと思います │

 夏休み明けから、「先生、ヤギの赤ちゃん元気かなあ。」(実紀)(ヒーちゃんの赤ちゃんとっても大きくなったよ。」(悠司)等と子どもたちの会話の中 に、再び他のクラスの動物のことがよくあがるようになったり、ともがき広場に走って向かったりする子どもたちの姿があった。「夏組は何の動物を飼うのかな あ。」という実紀の発言から、教師は、夏組の子どもたちが、動物を飼いたいと強く願っていると感じたため「夏組で何か動物飼いたい人。」と子どもたちに尋 ねてみると「飼いたい。」と言ってほとんどの子が挙手をした。そんななか、俊也だけは挙手をしなかった。その理由を尋ねてみると「ともがき広場で動物を飼 うと、服が汚くなるから。」というものだった。
 8月24日、クラスで飼いたい動物を発表した。
・アライグマ 木に登れるかもしれなくてかわいいから(幸子)
・ポニー   大きくて家で飼えないから。頭が良くて乗れるから。(優菜、拓也他)
・イヌ    保育園の時飼っていて、かわいかったから(早紀、恵里)
・カメ 飼いやすいから。大きくなったら乗れると思うから(貴彦、祥二他)
・ウサギ   育てて赤ちゃんを産んでほしいから(愛美)
・ヤギ    剛組さんが飼っていて、ヤギの赤ちゃんがかわいかったから(雪乃、志菜)
・七面鳥   色がきれいで、自分で育ててみたいと思うから(哲治)
 七種類の動物の名前があげられた。「では、夏組で飼うのはこれでいいのかな。」と教師が尋ねると「先生、みんな飼えないよ。」(敏彦)の意見に誰もがう なずいていた。そこで「どうしたらいいの。」と尋ねてみると「安いのと高いのを買えばいいと思います。」(愛美)「お金じゃあ買えないよ。」(祥二)「一 つだけにすればいいと思います。」(拓也)「一つにしないと大変だよ。」(雪乃)「どうやって一つにするの。」(祥二)「先生、相談の時間をください。」 (哲治)という意見も出て、決められずに困っているようだった。相談の時間を取ってもジャンケンで決める、クジで決める等の意見が多かった。教師が「それ でいいの。」と尋ねてみると「いやだ。」という答えが返ってきた。教師は、子どもたちがクラスで動物を飼育していくというイメージがつかめないのだと感じ たので、動物飼育をしているクラスの例をあげ、牧場などからお願いして借りてきていることも話した。すると「動物の中で借りてこられないのがあるよ。」 (雪乃)という意見が出た。雪乃の意見をきっかけに、子どもたちは「アライグマ」「イヌ」「ウサギ」「七面鳥」は借りてこれないと判断した。「ポニーは愛 組さんが飼っているから、愛組さんに聞けばどこから借りているか分かるよ。」(美里)「ヤギも剛組さんに聞けば分かるよ。いとこが剛組さんにいるから聞い てこれるよ。」(雪乃)「カメは僕のうちにいるから、お母さんに聞いてみるよ。」(真吾)等の意見から三種類の動物にしぼられていった。次に、この三種類 の動物からどのようにして一つにしぼっていくかについて話し合った。しかし子どもたちはまた困り、意見は出なかった。おはじきを机の上に広げ、動かしなが ら「これがポニーさんで、これがヤギさんで、これがカメさんで。」と一人が始めると、他の子もおはじきを持ち出し、ブツブツ話しながらおはじきを動かし始 めた。中にはおはじきを積み上げたり、指ではじいたりして遊び出す子も現れた。教師は、多くの子がポニーを希望していたので、その子たちが、ポニーの良さ を次々に発表してくるのではないかと考えていた。しかし、しばらく待ったが意見は出なかった。教師は、この問題が子どもたちだけで解決していくには、とて も難しいのだと感じた。また、その時、教師も、いまの子どもたちへのたった一言の助言が、子どもたちの決定に大きく影響してしまうのではないかと心配で何 も言えなかった。そんななか「三つったら三つとも一回借りてきてから決めたらいいと思います。」と雪乃が発言した。その他の意見は全く出なかったが、みん な納得し、全員がその意見に賛成した。その後「雪乃ちゃん、どうしてそう考えたの。」と尋ねてみると「借りてくれば決められると思ったから。」と答えた。 教師は夏組のなかに、このように考えることができる子どもがいることを頼もしく思い、三種類とも借りてきて、試しに飼っていこうと考えた。

 最初は七種類の動物の名前があげられたが、動物飼育をしている他学級の様子を見ていて、子どもたちには、一つにしぼらなくてはいけないという思い込みが あったようだ。教師も子どもたちが、何種類もの動物を飼うことはとても困難だと思っていた。また、今までの経過から見ても、当然ポニーにしぼられてくるだ ろうという見通しがあった。しかし三種類の動物を一種類にしぼることが出来なかったのは、まだ、かかわりの期間が短いため、どうしてもこの動物を飼いたい という強い願いにまで高まっていなかったのではないだろうか。教師は、雪乃の先を見通した発言をきっかけに全員一致で決めた方向を大切にしていこうと考え た。




<11>川組「忍者」実践
「友だちと一緒に作る楽しさを感じて−川組忍者−」
(公開学習指導研究会 研究紀要『内から育つ−学びの道すじを生み出しながら追究する子ども−』平成11年度 2000年
P.11-13より抜粋)

(1)忍者になろう
入学当初、教室の近くでうろうろしていた子どもたちも、学校の様子がわかりだすと「先生、外へ遊びに行って来ていい。」と言って、学校探検で見つけたジャ ンボ滑り台に出掛けるようになった。4月後半になると、朝、休み時間、放課後と時間があれば滑り台にほとんどの子が出掛けていった。「先生、すごいスピー ドだよ。」(夏美)「手をつないで滑れたよ。」(摩美)と鼻の頭に汗しながら教師に報告にきた。なかには夢中で遊んでいて、休み時間の終わりを忘れてしま う子もいた。ジャンボ滑り台のある南庭には、ぶらんこ、鉄棒などあるが、それらの遊具での遊びは少しの時間で、ほとんどジャンボ滑り台の遊びに終始してい た。他のクラスの子ともかち合うことが多く、休み時間が終わって「川組だけで乗りたいな」(香菜)の声が聞かれた。
 教師はこうした様子を見て、スリルやスピード、遊びの工夫を楽しんでいる子どもたちだと感じた。また、体全体で思い切りかかわれる遊びに興味がある子ど もたちだと思った。
 (中略)
 5月11日、春の遠足で、伊那公園へ行った。そこで、通称東京タワー(ロープで作った遊具)のてっぺんに正子が登って周りを悠然と見渡していた。すぐ下 に太一も登っていた。2人を見上げて「あ、あんな所まで登ってる。」「すごいな、私も挑戦しようかな。」と多くの子がかけて行き登り始めた。
 翌日、遠足で楽しかったことを出し合った。「東小学校のジャンボ滑り台は高くて急でおもしろかった。」(夏美)「正子さんがタワーの頂上に登っていたの がすごい。」(純二)に続いて、航一が「忍者のようだった。」と発言すると、「忍者って何。」(友子)「高い所に登れる人だよ。」(航一)「忍者は隠れる ことができる。」(和樹)「忍者の学校がある。マンガにあった。」(真介)と意見が出された。そして忍者のやることをまだわからないと関心を持ち始めた子 もいたので、教師は忍者についてさらに調べてこようと投げ掛けた。
 数日後、忍者について調べたり聞いてきたりしたことを発表した。忍者は「走るのが速い。」(智絵)「隠れる。」(真介・敬太)「忍び込む。」(純二) 「屋根や高い所に登る。」(遊斗)「わなを掛ける、仕掛けがある。」(峻治)「水にもぐれる。」(俊太)「竹で息をする。」(和樹)「草に隠れる。」(峻 治)「雑きん掛けも速い、うまい。」(摩美)「手り剣を狙って当てる。矢も打てる。」(太一)(巻き物がある。大切なことが書いてある。」(和樹)「忍 者って武器は自分たちで作ったり、食べ物も自分たちで取ってきたり作ったりするんだよ。」(菜美)の発言があった。すると、「忍者っておもしろそうだ。」 (真介)「忍者、やろう。」(純二)「ぼくたち川組忍者クラスにしよう。」(和樹)「忍者になろう。」(菜美)と発言が続いた。クラス中「そうしよう、お もしろいじゃん、賛成。」の声があがった。
 その後、未希は折り紙で手り剣を20個ほど作ってきて友だちに分けたり、作り方を教えたりし、宏子は巻き物の絵をコピーしてきて「これが巻き物だよ。」 と配っていた。
 また、校内探検の時間には、廊下を歩く時も「忍者はこうやって歩くんだよ。」(未希)「気付かれないように静かに。」(理子)「こう歩くと速くなる よ。」(航一)などと言いながら移動するようになった。ろく木登りでも「忍者の修行だ。」と純二が言うと、それまでゆっくりやっていた子も急に速く登るよ うになった。班対抗のリレーも、かけっこも「忍者の修行だね。」と口々に言うようになった。今まで登れなかった大型で高い雲梯に全員で挑戦する姿が見ら れ、全員が登り切ることができた。(中略)
 忍者の遊びをしているうちに、遊び場で他のクラスとかち合ったり、やりたい時間にその場所が空いていなかったりしたとき「自分たちの修行場があったらい いね。」(未希)という声があがっていた。
 5月17日、校外探検の時間「自分たちだけの楽しいところはないかな。」(夏美)「忍者の遊び(修行)ができる秘密基地を探そう。」(航一)「そうしよ う。」の声があがった。「僕の家の近くに秘密の林があるよ、でも遠いかな。」(真介)「カニの取れる川のある沢がいい。」(遊斗)という意見が出た。そこ でみんなで川に出掛けてみると「水遊びはできるけれど、木に登れない。」(純二)「ブランコができない。」(未希)などの意見が出された。秘密基地として は子どもたちのイメージに合わないようであった。
 5月18日、学校の近くの林に行ったが、「道に面していてすぐに見つかってしまう。」(和樹)というので、これも取りやめになりさらに探すことにした。
 5月20日、未希が「幼稚園の時行った秘密の場所があるので教える。」と言うのでみんなで行ってみた。そこは高尾神社で、遊具がありとても楽しかったが 「他の子も来たことがあり、みんな知っている。」(理子)「他の人の車がある。秘密とは言えない。」(和樹)「忍者なんだから遊ぶものも自分たちで作ろ う。」(菜美)という意見が出され「ここでなくていいから楽しい川組だけの秘密の基地を作って遊びたい。」(未希)「秘密の場所を探そうよ。」(早苗)な どと、さらに探すことになった。
 5月25日、学校や学級の畑の近くで秘密基地探しをしている時だった。学校の校庭から藪を抜け、小川ぞいに細い道を行くと開けた土手に出た。「うわ、こ の坂滑るよ。」(太一)「この木登れるかな。」(純二)「こっちには小さい木がある。」と言い、瞳子はおそるおそる木に登ると枝を揺すってにっこりしてい た。土手全体が斜面になっており、滑っているうちに遊斗が転がり始めると、次々に他の子も真似をして転がっては歓声をあげた。下は草が敷き詰めたようにあ り、倒れても痛くなかった。未希は「こっちの草、隠れちゃうよ。」と1メートルほどに伸びた草の中に入り込んで身を│
隠してしまった。
 5月26日、多くの子が「また、あそこに行こうよ。」と言い出し、出掛けてみることにした。その場所に着くと誠一は近くにあったつるを頭に巻き、小枝を 見つけこれを腰に差し「これが忍者の刀だ。」と腰から抜いて見せた。遊んでいるうちに「ここには登れる梅の木がある。」(瞳子)「大きなくるみの木もあ る。」(航一)「坂は急で滑り台もできそうだ。」(夏美)「木、草がいっぱいあり、他から見つかりにくい。」(未希)「いいじゃん、ここ。」(菜美)「こ こを川組忍者の秘密基地にしよう。」(純二)「賛成。」の声が多くの子からあがった。そこで、この場所が川組忍者の秘密基地と決まった。 │
 (中略)
 忍者に対して子どもたちは、素早く動く、秘密を持つ、人にはできないことができる、武器などを作り出すというイメージを持っている。子どもたちはこの忍 者のイメージをきっかけに、学校内外の探検をしている。その中で秘密基地探しを始めた子どもたちは、人に見つからない、いろいろな遊びができそうな場所を 選んだ。この場所では体全体を使った活動ができ、スリルやスピード感を味わえ、遊びの工夫もできそうだと子どもたちは感じて、自分たちだけの秘密の基地と してここで活動したくなったのだろう。
 教師は秘密性があり、創作の遊びが楽しめるといったこの基地での遊びで、子どもたちが自分のやりたいことを思い切り体を使ってでき、友だちと共に活動す る楽しさを感じ取れるだろうと思った。
(後略)