女性体育教師とアイデンティティをめぐる一考察

保健体育科  50期  298104番  高雄 雅子

指導教官   山本 俊彦

 


【問題の所在及び目的】

 運動・競技の世界は、古くからそして今なお男性社会としてとらえられることが多い。この考え方が、生理学的な部分はもちろんのこと、社会的・文化的レベルにおいても性差を作り出し、学校体育に男性的な役割や期待を求めてきたとはいえないだろうか。作られたジェンダーの中で女性体育教師がどのように位置づき、どう振る舞い、自己の存在をどう確かめてきたのだろうか。

 新学習指導要領の中に、新しく「体ほぐし」の内容が加わり、体育を通じての人とのかかわりや、ふれあい、コミュニケーションの大切さが強調されている。これらがなぜ、体育の問題として取り上げられているのか。それは、男性的な側面を中心にとらえられてきた「運動」を、いわゆる人間の持つ女性的な柔らかな部分を含めてとらえ直そうということではないだろうか。またそれは、体育・運動という男性社会が、それをよりよく補完するために女性体育教師の「女らしさ」を求めているのではなく、男性体育教師、女性体育教師それぞれが認識を深め、一体育教師として、その役割を十分に発揮していくことが求められているということではないだろうか。

 そこで本研究では、体育や運動における男性化した偏ったとらえ方を見直し、女性体育教師がこれまでどう位置づけられ、どのような振る舞いを期待されてきたのか。そしてこれからの学校体育の中で、どのように自分を認識し、どこに、「自分らしさ」を見出していくべきかを考えていく。

【研究方法】

1、文献研究

これまで女性体育教師はどのようにとらえられてきたのか、歴史的背景から女性体育教師を追っていく。「運動」という男性社会の中でどのような存在であったか、文献をもとに整理する。

2、調査研究

@「絵に描かれる体育教師像」の調査研究

 1996年から2000年にM大学の学生を対象にして行われた「体育の先生を絵に描いてください」という作画調査(331枚)をもとに、<体育教師のイメージ><服装・スタイル><姿勢・態度><口調・語調><漂う雰囲気・存在感>の5つの観点から女性体育教師の特徴を探る。

Aインタビューによる研究

 現職の女性体育教師5人に対しインタビューを行い、今現在の現場の様子や教師の意識を探る。

【第1章】 ―体育社会の中の女性体育教師―

 学校教員は、戦後早くから男女平等が実現している職業と言われる。結婚や出産後も働き続ける条件が整い、制度的、形式的には平等を保障されている。しかし、実質的な平等は達成されていないのが現状である。特に、学校体育の世界において女性体育教師の存在は薄く、運動という男世界に呑み込まれているように見え、その存在はあってないようにとらえられている。このような中で体育における「女性体育」教師の役割期待は、ダンスだけに向けられるようになった。

 作画調査の結果、生徒にとっての女性体育教師の存在は薄く、ダンスのためだけの存在に映っていた。さらには、男性体育教師と変わらないといったような個性のない姿として描かれていた。また、「生徒指導」というイメージや体育教師独特の特徴が描かれており、今まで気づかなかった部分を改めて認識することができた。


【第2章】―インタビューから見える女性体育教師―

 インタビューをもとに女性体育教師の意識や認識を探ろうとした。教師暦の長いH教師、T教師と、教師暦1、2年のF教師、O教師、A教師の5人の教師から、女性体育教師の思いや意識の聞き取りを通して、その時代や経験の中での違いや、年代を越えて同じ思いに至っている点など、様々な方向から女性体育教師を見つめ直すことができた。

 このインタビューの観点として、「教師」「女性教師」「体育教師」「女性体育教師」の4つをポイントとした。その中の「体育教師」という部分で学校から求められる体育教師の役割に「生徒指導」があげられ、その影響が今の体育、特に集団行動に大きく影響していることが分かった。「女性体育教師」という視点から「体育教師」を見ることによりこういった今の体育の現状が浮かび上がってきたのである。今日「生徒指導」のあり方が問われ、力任せの「管理的」な指導から、「人権・自律性」を重視した指導に変わりつつある。これまでの管理的な生徒指導を自己の存在証明としてきた体育教師がこの変化に対応していけるのだろうか。しかし、言い換えれば体育教師が変われるチャンスでもある。女性体育教師はこれまでの男性体育教師の裏方のような存在というレッテルから抜け出し、もっと自分を前面にだし、男性体育教師と等価としての自己を主張していくことこそが大切なのである。

【第3章】 ―女性体育教師と体育授業―

 新学習指導要領の中に、新たに「体ほぐし」という内容が加わり、学校から求められる体育教師の役割が変わってきた。これまでの「速く」「強く」「上手に」という右肩上がりの学校体育に「かかわり」「ふれあい」「コミュニケーション」という新しい風が入ってくるようになった。

「体ほぐし」の導入により、これまでの男性体育教師ができない部分を女性体育教師が補うという暗黙のルールは通用しない。「柔らかさ」「しなやかさ」といったパワー系男性体育教師がこれまで逃げてきた部分はこれを期に見直すべきである。これこそが、これからの「体育授業」あるいは「生徒指導」に大きく影響し、体育教師のアイデンティティを確立するための大きな手がかりになるのではないだろうか。子どもたちに「かかわりあいやふれあい」を求める前に、「規律・管理」重視のパワー系男性体育教師がこの「心の体育」を取り入れることこそが大切であると考える。

【結論】

 体育が変わろうとする今、これまでの体育教師の暗黙のルールや「とらわれ」をゼロにし、今ここでもう一度「体育」を考え直すべきである。教師が変わることで学校・体育がかわり、子どもが変わるのである。まずは大人が変わるべきではないだろうか。女性体育教師のアイデンティティとは性別を越えた一人間としての存在の意味と価値であり、一人一人の教師が自己をアピールし、それを互いに認め合うことで認識するものである。

「男だから」「女だから」という枠を取り去り、人間として理解し、受け止め、そこから開かれる関係こそがこれから大切にされなければならない。周りを見、その違いを認め合い、その個性や特性を理解しあうことがこれから求められることなのである。こういった考えは、体育に限らず、すべての場において重要なことであり、常に意識していかなければならない。古き伝統がすべて悪いというわけではない。その問題点を、周囲に流されることなく自分で考えて行動する、そして声に出して主張していくことこそが必要ではないだろうか。

     参考文献 村田芳子「『体ほぐし』が拓く世界―子どもの心と体が変わるとき―」

200111月 光文書院