legs ● Skeleton No.2 ●


現代社会への一口小言
legs2
現代社会にはびこる不満のあれこれ。こんなことっていいの?あれってやっぱりおかしいんじゃない?といったことをこの部屋にはコレクションしていくつもりです。

みなさんもよろしかったら日頃の不満や変だなと感じていることをポストメール(このページの一番下にあります)でお知らせ下さい。ここで紹介いたします。ただし、個人攻撃はさけましょう。

 小言 その1:「お持ち帰りでよろしかったですか?」
 町のハンバーガーショップに入ると、アルバイトの若い女の子が元気なかけ声で「いらっしゃいませー」と言って、まずあいさつをしてくれます。元気があるということは世間的には、まあいいことだから、ここまでは問題ありません。何も変だなとは思いません。問題はそのあとです。いろいろ迷ったあげく、私はテリヤキバーガーとフライドポテトとコークを頼みます。すると、そのとき、アルバイトの若い女の子は大体きまってこう聞きます。

「お持ち帰りでよろしかったですか?」

ここで、私は一瞬「えっ、?」と思います。「どうして過去形を使うのだろう?」という疑問がはっと頭に浮かぶからです。こちらはまだ持ち帰りとも店で食べるとも言っていないのに、まるでそのときまでに持ち帰りにすると言ったような口振りなのであります。つまり、「持ち帰りにするかどうか」ということはそれまで店員と私(客)の間で話題にならなかった事柄(すなわち、新情報)なのに、「よろしかったですか?」という過去形を使うことによって、そのことがあたかも旧情報であるかのような扱い方をするのです。「お持ち帰りでよろしかったですか?」という言い方に対する私の違和感はそこから生まれてくるのです。(誤解のないように言っておきますが、若い女の子に一方的に決めつけられたことを変に思っているわけではありません。過去形を使うところに変な印象を受けるのです。)

 おそらく正しい日常会話では「お持ち帰りでよろしいですか?」という現在形になるべきところだろうと思います。そういう会話があったあとで、本当に持ち帰りでよいかどうかを確認するときに始めて「お持ち帰りでよろしかったですか?」という過去形が出てくることになると思います。ハンバーガーショップの女の子の聞き方はそうした会話の流れを1ステップだけ省略しているのです。そこに誤用のおかしさが由来しています。

 こういう言い方が耳につき始めたのはもう7、8年ぐらい前になるでしょうか?もしかしたらもっと以前かも知れません。どういう経緯でこうした、客との会話で1ステップ省略した聞き方が生まれてきたのかは知りませんが、想像するに、都市のファーストフード店で働く若い女の子あたりが使い始めたのではないかと思っています。ひょっとしたら最初は現在形を使うべきところをつい間違って過去形を使ってしまったのかも知れません。始めは誤用だという意識があったかも知れませんが、使っていくうちにこうした言い方でも結構用が足せる、つまり、問題なく事が運ぶことがわかってくると、逆にこうした誤った言い方がなんとなくカッコよく思えてきます。すなわち、一つのファッションとして流行していきます。そう、私はこれは一つの流行だと考えています。本当にカッコいいかどうかは別にして、流行(はやり)に一番影響を受けやすいのは、あまり物事を考えない高校生ぐらいの若い女の子です(若い女の子の考える「カッコよさ」の基準というか美的感覚というのは必ずしも世間一般のそれとは一致しません。あの、ミニスカートにルーズソックス、それと健康すぎる太い足の不調和を見れば、それはわかるでしょう。流行と美観とは無縁のように思います)。それで、こうした言い方がアルバイトをしている17、8 歳くらいの若い女の子たちの間に爆発的に浸透していったのではないかと推測しています。実際、この言い方はあっという間に、あちこちで聞くようになりました。最初、この「お持ち帰りでよろしかったですか?」という言い方は大きな町でよく耳にしたように思いますが。いまでは三重県の津のような田舎でもごく普通に聞きます。しかも、そうした言い方がもはや誤用だという意識は少しも持っていないような印象を受けます。さらに、驚くのは高校生のような若い女の子たちだけでなく、少しは正しい言葉についてもっと考えてもよさそうな大人たちまで平気で使いだしていることです。たいていは女性が多いように思いますが、変に都会風に垢抜けした(と思っている)男性もよく使うようになっています。そのうち、この言い方はごく普通の日本語になってしまい、だれも「変だな」とは思わなくなるかも知れません。

でも、あの言い方って、やっぱり変だよ。

さて、上記の「お持ち帰りでよろしかったですか?」に関して、2つほど意見が寄せられましたので、紹介いたします。

( 1 )
「テリヤキバーガー」とあるところを見ると、例として挙げていらっしゃるのは、モス・バーガーかと思います。モスについては不案内ですが、もしマクドナルドで同様の台詞をお聞きになったのであれば、それは店員が若いからではなく、何らかの目的があると思います。なぜなら、マクドナルドにおいては、店員の応対は完全にマニュアル化され、ひととおりの注文を受けた後、何秒後に「ポテトは如何ですか?」と言うのかということまで決められている、と聞いたことがあるからです。入念に検討され、完成されたマニュアルがあるから、少し訓練すれば、初めてバイトに来たおばちゃんでも勤まるし、人間心理の虚をついて、余計なポテトまで注文させることができるということだそうです。釣銭を客に渡す前に、手のひらをしっかりと開いて客に見せるのもマニュアルに沿った方法のはずです。カウンターの高さも決まっていると聞きました。もちろん、国ごとに異なるはずですが。ちなみに、国ごとで少しずつ味を変えて、その国の好みに合うようにしているそうです。知合いのアメリカ人は、「香港のマックが一番美味い」と言ってました。

繰り返しますと、果たしてマクドナルドのカウンターで同様の台詞が聞けるかどうか、という点に興味があります。ちなみに、今私はニュージーランドのオークランドに駐在中の会社員ですが、こちらのマックでは、いちいち「持ち帰りか、ここで食べるか」と聞いています。日本のマニュアルとは異なるはずですから、そちらで調べてみる価値はありそうです。

もし、マクドナルドのカウンターでこの気になる台詞を聞いたら、次の段階で「なぜこの台詞に決めたのだろう?」という疑問が出て来ます。自分なりに考えてますが、根拠が薄弱で…

若い人の間の単なる流行であれば、これは仕方ないという一言で片付けてしまいます。言葉も絶えず変化し、生まれたり死んだりするものだと思いますので、仕方ない、という意味です。若い人の言葉を云々するのは、若い人の行動を捉えて「今の若い者は…」というに等しいような気がします。若者は年配を写す鏡のような」ものではないでしょうか。彼等の言葉をしつけるのは、他ならぬ年配の人たちの役目であるからです。私自身は進学にあたって国語学を勉強しようかと真剣に考えていたくらい日本語そのものに興味はありますので、若い人の間でのみ使われるひとりよがりの言葉は彼等の幼稚さを示すようで、好きにはなれませんが、致し方なし。( M. I 氏より)


( 2 )
「よろしかったですか」と言う表現を卒論で取り上げようとおもっているものです。北海道特有の表現ではないかという意見もあったので、結構いろいろなところで使われているのだなとおもいました。友人は初めは「よろしいですか」より「よろしかったですか」のほうが丁寧な表現だったのではといっていました。確かに「よかった」より「よろしかった」のほうが丁寧にとれるときはあるとおもいます。( A. I さんより)

 小言 その2:(笑)のマーク
さて、私の感じる変なことのひとつは、たった今自分自身で使ってしまった(笑)のマークです (注:この直前の文章の最後に(笑)が使用してある)。文章だけでは真意を伝えることのできない、表現力の無さを、こういうマークで補おうとするのは情けないことです(反省)。読むものの神経を逆撫でするような場合もあるかもしれませんし。

 小言 その3:「結果を出す」
それと、私の父の意見ですが、父曰く、野球選手がよく使う「何とか結果を出したい」という表現は聞き苦しい、とのことです。「結果」は何とかしなくても、何かの行為があれば必ず生れてくるもの。「よい結果を」の「よい」を省くな、といつも怒っています。(注:これは上の「小言 その2」をお寄せ下さった方のお父上の小言です。言われてみればなるほどそうだと思います。)

あなたの感じる「変なこと」を教えて下さい。

お名前


   E-Mail(半角)


年齢


性別


これって変じゃない?って思うこと

 


back