読書案内3
『零の発見 ―数学の生ひ立ち― 』吉田洋一
本来理科系だった私には未だに数学には深い憧れがあり、その憧れをいやすつもりで読んだのがこの本。著者の学問の広さと深さに感心した。古代ギリシアにおいて数学が哲学とは切り放せない学問だったことを教えられる。π(パイ)が有限の小数で表し得ないことがピタゴラス派の哲学を根本から危うくしかねないほどの大事件であったことなど、推理小説以上にドキドキさせられた。 半世紀以上も前に書かれていながら、いまなおスリリングな本。
『インドで考えたこと』堀田善衛
一人の作家がインドという土地に触れて、どうしても考えざるを得なかったことを全身で受け止め、解放されることを求めて次から次へと止めどなく沸き起こってくる強い想念を生のまま書きとめた書物。現実に触発された生の思考が文章の至るところから吹き出してきて、読む者をその思考の根源へと誘う。現実と対峙するその強い思考に奇妙に感動させられる一冊である。
『羊の歌 ―わが回想― 』(正・続)加藤周一
岩波新書の中でも特に名著の誉れ高い書物で、読むことの喜びを味あわせてくれる書物。一つの文化を知ることへの意志、文化の核心へ肉迫していく魂の強靭さに興奮を覚える。近年の比較文化や国際化といった流行に便乗しただけのお手軽本や、金満家日本の思い上がりとしか思えない底の浅い国際理解関係の書物を顔色なからしめるほどの深みと誠実さがここにはある。
『論文の書き方』清水幾太郎
レポートの書き方のこつを知ろうとして読んだら、技術的なところを飛び越えてもっと本質的なところまでつれていかれた一冊。具体的な経験と抽象的思考の間の溝をいかに乗り越えて抽象的思考を身につけていくかに精神の成長がかかっていることを教えられた。以前『知的生活の方法』というナントカ新書(岩波新書ではない)が出たとき、友人から借りて一読したが、 そこに示された、上品な雰囲気めいた「知的生活」ぶりにはうんざりした。私には一見「ハウツーもの」めいたタイトルをもつ本書(『論文の書き方』)の方がよほど知的生活の刺激剤になった。
『ことばと文化』鈴木孝夫
社会言語学を志す人にとっては格好の入門書(もちろん言葉そのものや比較文化に関心がある人にも大変有益)。言葉と文化は切っても切り放せないこと、言葉の背景には必ずその言葉を使う民族の伝統・文化が張り付いていることはわかっているが、それをこの本は身近な実例をあげて実にわかりやすく、そして面白く解説してくれる。さらに日本語の特性とは何かを教えてくれる。チョムスキーのむずかしい言語理論は不得手という方にも言語研究は面白いと思わせてくれる。私は本書で著者鈴木氏のファンになった。
『日本語の起源』(旧版)大野 晋
ぜひ一読を薦める一冊。我々が普段使っている日本語に対する自分の無知を心地よく啓蒙してくれる。たとえば、日本語の東部方言と西部方言を私は何となく比較的近代の現象だろうぐらいに思っていたのだが、実は紀元前の縄文時代にまでその二つの違いは遡りうることなど、日本語について多くの興味深い知見を与えてくれる。同時に、学問に対する著者の真摯な情熱があちこちから伝わってきて、忘れがたい印象を残す。特に、戦争中栄養失調で世を去った橋本進吉博士による「古代日本語には母音が8個存在した」という事実の発見に至る部分は感動的ですらある。著者はその発見を「日本語に関する明治以後の研究のうちで、もっとも輝かしいものの一つでありながら、いまだに国民一般の知識として広まっていない事柄」として嘆かれる。その発見のおかげで、たとえば、「神(カミ)は上(カミ)にいるからカミというのだ」という民間語源説は誤りだということが学問的に証明される。それは、私には学問の精確さが通俗的知識を正していくときの瞬間と映った。(なお同タイトルの新版は全く違う内容で、著者長年の研究目的であった日本語の起源探索の一つの結果として、日本語のルーツを南インドのタミール語に求め、その言語的・文化的類似性をさまざまな側面から提示されており、こちらも刺激的である。)
『スウィフト考』中野好夫
言うまでもなく著者は日本の英文学を支えてきた骨太の英文学者(中野氏によるすぐれた英米文学の翻訳書には専門家ならずとも多くの日本人が多大の恩恵を得ているはず)。この本は、人間の生き方や人間の歴史に飽くことのない関心を抱かれる中野氏の描かれた厭人主義者スウィフトのエスキースと言えよう。エスキースとはいえ、スウィフトという特異な人間の本質はくっきりと浮き彫りにされている。本書には「パートリッジ事件」や「ドレイピア書簡」や「貧困児処理法捷径」といった、歴史の中で活躍する憤怒の人スウィフトの恐ろしくて面白い話がいっぱい詰まっている。スウィフトの『ガリバー旅行記』は一読すれば、決して子ども相手のお話ではないことはすぐにわかるが、本書を同時に読むとそのグロテスクな恐ろしさがいっそうよくわかる。
(余談:氏の長女中野利子氏が書かれた『父中野好夫のこと』(岩波書店刊)によると、氏は「魚屋が魚を売るように、八百屋が野菜を売るように、黙々と机に向かっていた」という。大人(たいじん)の気取らない日常が垣間みえるようで、生き方の手本になる。また氏の奥さんは「ふつう、学校では"There is a book on the desk"と習うでしょ。でもうちでは、"There is a desk on the books"なのよ。」とよく言われていたそうだ。このあたりにも氏の蔵書家ぶりがうかがわれる。)
『ピープス氏の秘められた日記』臼田 昭
17世紀イギリスの官僚サミュエル・ピープスの徹底して「形而下」的な日記の魅力を余すところなく伝えてくれる。賄賂ももらえば、浮気もする(浮気相手の女性名は、妻に知られまいと英語外国語混じりの謎文字めいた言葉で書かれているということで、エリート官僚の小心ぶりがうかがわれて面白い。いつの時代も浮気は恐いカミさんがいるからこそスリルがあって楽しいものらしい)、何とも人間臭い一個人の日記を覗き見しながら、17世紀のイギリス社会の動きが、いわば内側から勉強できる。かたい歴史書よりも断然面白い。そのゆったりとした語り口も味わい深い。著者の臼田氏は著名な英文学者で、世界の奇書の一つとされるこのピープス氏の日記を全訳刊行の途中で亡くなられた。合掌。
『イギリスと日本』森嶋通夫
本書を含めた『続イギリスと日本』『サッチャー時代のイギリス』の三冊はイギリスを知る上で非常に有益な三冊。たとえば、「イギリスは階級社会である」といった一般的先入観を解く上で大変啓発される。サッチャー政権から、メイジャー首相を経て、労働党のブレア政権に変わった現在では少し時代に遅れてしまった点は否めないが、それでも本質的な部分は今なお通用するように思う。当時「イギリス病」という名で呼ばれたイギリスの長期経済不振は、2大政党(保守党と労働党)の間で常に政権が移行しているためで、それを著者は「デモクラシーのための費用」だとされる。そしてイギリスは「もはやかつての大英帝国ではなく、ヨーロッパの片隅の小さな福祉国家」にしかすぎない、そしてそうした福祉国家にとって経済成長率が悪いことは、苦しいことではあるが、恥ではなく、また致命的なことでもないとされ、経済優先の日本病よりは福祉優先のイギリス病の方がはるかに望ましいと主張される。紅茶やガーデニングの他にもイギリスから学ぶことはまだまだありそうだと思わせる3冊。
『日本人の英語』(正・続)マーク・ピーターセン
我々はふだん英語と聞くと、「読む」方は何とかなるが、「聞く」「話す」といった方はどうも不得手だと思う。英語が話せないことを何とはなしに恥ずかしく思い、なんとしてでも会話ができるようになりたいと思う。かくして「駅前留学」などといった珍妙な日本的現象が出来することになるのだが、この本は、(辞書さえ引けば)英語はなんとか読めると思っていることが、はたして本当にそうなのか、本当に「読めて」いるのかとネイティヴの視点から問いただしてくれる。それにしても外人でありながらこれだけ自由に日本語が操れるのを目の当たりにすると恐ろしくなる。
自分で選んでみてやはり専門関係に傾いていることがわかり、あらためて自分というものを突きつけられたような気がしています。しかしこの10冊のうち3冊は先の岩波書店が企画した「私の三冊」の上位20位のものと共通しているのを知って少し安心してもいます(違っているからといって何も不安に感ずる必要はないのだけれど)。上に紹介した10冊はいずれも読みやすいものばかりで、ぜひ一読を薦めます。読みやすいからといって内容が薄いということは決してありません。むしろ、その逆で、難しい内容にもかかわらず、それをやさしく書いてあります。一般読者に読みやすい・わかりやすいということは、言い換えれば、著者がそれだけよくわかっているということであり、だからこそ難しい内容をわかりやすく言えるのです。読みやすさということは素晴らしい美徳であり、いわば名著であることの証明であると思っています。