The Identity of Sherlock Holmes: The Advent of the Legendary Detective
(シャーロック・ホームズの秘密: 伝説的探偵の誕生)

64期 AII 類 T. M.

Introduction

 19世紀イギリスといえば世界に誇る栄華を極めた時代である。18世紀中頃に起こった産業革命は大英帝国の経済的発展の基盤となり、若くして即位したヴィクトリア女王は国の象徴として名を馳せた。しかし、英国が華々しい栄光を飾る一方で、裏では犯罪が蔓延り、人々の間では世の中に対する懐疑や不安の影が生まれてくる。このようなヴィクトリア朝時代において民衆は一人の名探偵に希望を見出す。現代まで語り継がれる名探偵シャーロック・ホームズである。コナン・ドイルが生んだその英雄は大英帝国が誇る科学力を世界へ発信するかのように、次々と謎めいた事件を科学的、論理的に証明していく。この論文では、英国至上主義が垣間見えるホームズシリーズの中で、ホームズがどのような英雄であったのかを初期の作品 (A Study in Scarlet, The Sign of Four, The Adventures of Sherlock Holmes, The Memoirs of Sherlock Holmes) を中心に考察していく。

Chapter I The Advent of a Hero as an Omniscient Detective

 シャーロック・ホームズとは如何なる英雄であったのだろうか。シリーズ第二作目The Sign of Fourの中で、彼は理想的な探偵には三つの技能が必要であると述べている。「観察」「知識」そして「推理」である。ホームズは彼の言う理想的な探偵に限りなく近い技量の持ち主である。しかし、探偵として超人的な推理力を有していることは周知であろうが、その実、彼はその類まれなる才能を持て余し、平穏な日々に嫌気がさしている。彼は常に脳を刺激するものを求めるあまり、麻薬中毒者としても有名である。しかし、知能を刺激し、彼に充足感をもたらすという意味では、犯罪もまた大きな中毒的刺激と言えよう。日々の倦怠を嘆き、犯罪を求める姿や、犯罪捜査における彼の活発で行動的な姿は、彼の犯罪中毒者としての側面を浮かび上がらせる。

Chapter II The Friendship between Holmes and Watson

 探偵小説でホームズとワトソンといえば誰もが知る名コンビである。犯罪中毒者としてのホームズについては前章で述べた。ホームズは犯罪というフィルターを通して世界を俯瞰するあまり、人間的感情的な側面が欠落している。機械的とも言える彼とは対照的にワトソンは実直な人物として描かれている。このような二人がなぜ固い友情で結ばれているのか。心理学的観点から二人の関係を見ると、英雄的な力と引き換えにホームズが削ぎ落としていった人間的な部分がワトソンに集約されていると見ることも出来る。また、ワトソンはホームズの英雄の超人的な力に惹かれ、物語の語り手として彼の伝説を世に広める役割を担っている。運命共同体としての二人は、お互いを補完し合う関係にあるようである。

Chapter III The Struggle between Justice and Evil

 モリアーティ教授はホームズの前に大きく立ちはだかる悪の頭領である。彼は、表向きは大学の教授としてその名が通っているが、その後犯罪の演出家としてロンドンの裏社会を牛耳るようになる。モリアーティ教授は犯罪を計画するだけで、実際に殺人や強盗を犯すのは彼の手下達であり、彼の名は決して表舞台に現れることはない。しかし、"The Final Problem"においてホームズだけは彼の不穏な動きをいち早く察知し、捜査網を張る。
 二人は容姿、知力ともに類似する点が多い。当時、外見的特徴から知能の高さを推測する骨相学という考え方があり、それがホームズの作品の中にも盛り込まれているようである。知能の高さに関しては、ホームズ自身も同等と認めるほどである。彼らは犯罪をめぐって、ホームズは正義の番人として、モリアーティ教授は悪の頭領として対峙する。ライヘンバッハの戦いで二人が滝壺の中へと消えていく最後の場面は、ワトソンの手記によって人々の心の中に留まり続ける。ホームズは不安定な英雄でありながら、悪の頭領と共に消滅することでその関係性を完結させるのである。

Conclusion

 ホームズはカオスを論理的に解明していく。カオスは「不明瞭なもの、混沌」の意である。人々は世に対する懐疑的な気持ちや、不可解な犯罪に不安を感じ取り、ホームズを英雄として祭りあげる。一方で、犯罪を裏で牛耳るモリアーティ教授はカオスの根源としてホームズの前に立ちはだかる。
 モリアーティ教授が犯罪を生みだし、ホームズが事件を解決する。人々はホームズの超人的な力によって、ロンドンを包み込む不明瞭な闇を晴らしてくれることを期待したのではないか。大英帝国の科学力の集大成と言うべきホームズの論理によって、全ての謎は解明されていく。彼の伝説はワトソンの手記という形で世界へと発信され、彼の英雄としての立場は誰もが認めている。犯罪を追及する英雄は相棒と敵対者の存在によって、英雄としてのアイデンティティを確立させているのである。